参加校数の推移
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「NHK全国学校音楽コンクール」の記事における「参加校数の推移」の解説
小学校の部 1932年(第1回)から開催。太平洋戦争による中断をはさみ、以降は戦後の復興と第一次ベビーブームなどもあり参加校数が増えていった。一時は2000校を超えていた。しかし、1961年以降は2000校を下回り、(公害問題もあって)急激に出場校数は減っていく。1972年では1000校を下回った。その後は1978年で再び1000校の大台にのり、1200 - 1300校を推移していたが、1996年以降は再び1000校を下回り、現在は800-900校を推移している(2003年以降は上昇に転ずる)。2009年では1997年以来12年ぶりに900校を突破した。平成初期までは地区コンクールのみ参集方式(会場にて演奏)、ブロック大会以降はテープ審査なので移動及び費用は地区大会の1回分で済んだのだが、近年はすべて参集方式のため、交通の便が悪い地域や予算が少ない学校の場合、特に小学生の場合は体力的にも不安があるため参加を見送っているのも一因とされている。また、音楽を専門としている教師が少ない点、少子化も一因である。 1933年(第2回)から1943年(第12回)までの一部の課題曲では、当時の日本の政治体制を背景に軍国主義に基づく曲が採用された。特に第11・12回は戦局が悪化した理由でほとんどの課題曲が軍国主義の曲である。 最多は1957年(第24回)の2529校、戦後全国大会になってからの最少は、2002年(第69回)の797校。 中学校の部 戦後の1949年(第16回)から開催。なお中学校の部では2000校を超えたことがない。開催当初から1500校前後が参加していたが一時1000校を下回る。1976年以降は小学校の部を上回っている。近年はポップスが課題曲に起用されることもあってか、少しずつ増えてきている。2009年では1995年以来14年ぶりに1200校台になった。変声期の指導に合唱が多く用いられること(音楽の授業で合唱を本格的にやるため)、全日本合唱コンクールの中学校部門には課題曲がないことから比較のしやすさ、課題曲にポピュラー音楽の作曲家が特に中学校の部で多く起用されて生徒にとって親しみやすい等の要因から、現在では3部門の中では一番参加校が多い。 最多は1956年(第23回)の1706校。最少は1974年(第41回)の748校。 高等学校の部 1952年(第19回)から開催。高等学校の部では1000校を超えたことがない。当初は参加校数は300校程度だったが、1955年以降は500 - 700校程度を推移していた。以降微減傾向が続き、平成に入ると400校未満を推移する。2009年は409校が参加し、1988年以来21年ぶりに400校を超えた。2017年は492校となり、平成に入って最多出場校数となった。また、2018年は504校となり、1982年以来36年ぶりに500校を超えた。音楽の授業の選択制やそもそも音楽の授業がない高等学校も少なくないこと、部活動はあるが地域によっては全日本合唱コンクールへの傾倒が著しいこと(演奏時間、参加人数の規定は全日本合唱コンクールより厳しいのも理由の一つ)等が参加校数の伸び悩みにつながっていると推測される。 最多は1964年(第31回)の945校。最少は1998年(第65回)の258校。 全体 最多は1955年(第22回)の4706校。全部門開催の1952年以降、最少は1974年(第41回)の1997校。現在は2300校 - 2500校を推移しており、増加傾向をみせている。
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