南京国民政府/汪兆銘政権成立とは? わかりやすく解説

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南京国民政府/汪兆銘政権成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)

第二次世界大戦」の記事における「南京国民政府/汪兆銘政権成立」の解説

日中戦争の勃発に伴い中華民国蔣介石日本との徹底抗戦構え崩さず日本側も首相近衛文麿が「爾後國民政府對手トセズ」とした近衛声明出し和平の道は閉ざされた。汪兆銘は「抗戦」による民衆被害中華民国国力低迷心を痛め、「反共親日」の立場示し和平グループ中心的存在となった。汪は、早くから「焦土抗戦」に反対し、全土破壊されないうちに和平を図るべきだと主張していた。 1938年3月から4月にかけて湖北省漢口開かれた国民党臨時全国代表大会では、国民党初め総裁制が採用され蔣介石総裁、汪が副総裁就任して徹底抗日」が宣言された。すでに党の大勢は連共抗日に傾いており、汪としても副総裁として抗日宣言から外れるわけにはいかなかったのである一方3月28日には南京梁鴻志行政委員長とする親日政権中華民国維新政府成立している。こうした中、この頃から日中両国和平派水面下での交渉重ねようになった。この動きはやがて、中国側和平派中心人物である汪をパートナー担ぎ出して和平」を図ろうとする、いわゆる汪兆銘工作」へと発展した6月に汪とその側近である周仏海意を受けた高宗武渡日して日本側と接触高宗武自身日本和平相手は汪以外にないとしながらも、あくまでも蔣介石政権維持した上で和平工作考えていた。10月12日、汪はロイター通信記者に対して日本との和平可能性示唆、さらにそののち長沙焦土戦術に対して明確な批判の意を表したことから、蔣介石との対立決定的となった1939年3月21日暗殺者ハノイの汪の家に乱入、汪の腹心の曽仲鳴を射殺するという事件が起こった汪兆銘狙撃事件)。蔣介石放った暗殺者は汪を狙ったが、その日はたまたま汪と曽が寝室取り替えていたため、曽が犠牲になったハノイが危険であることを察知した日本当局は、汪を同地より脱出させることとした。4月25日、影佐と接触した汪はハノイ脱出しフランス船と日本船を乗り継いで5月6日上海到着したハノイ事件は、汪が和平運動停止しヨーロッパなどに亡命し事態静観するという選択肢放棄させるものとなった日本蔣介石代わる新たな交渉相手として、日本との和平交渉の道を探っていた汪の擁立画策した。しかし1940年1月に、汪新政権傀儡化を懸念する高宗武陶希聖和平運動から離脱して内約原案外部暴露する事件生じた最終段階腹心とみられた部下裏切ったことに汪は大い衝撃受けたが、日本側が最終的に若干譲歩行ったこともあり、汪はこの条約案を承諾することとなった。 汪は日本の軍事力を背景として、北京中華民国臨時政府南京中華民国維新政府などを結集し1940年3月30日蔣介石とは別個の国民政府南京樹立、ここに「南京国民政府」が成立した。 汪は自らの政府を「国民党正統政府」であるとして、政府発足式を「国民政府南京戻った」という意味を込めて還都式」と称した国旗は、青天白日旗に「和平 反共 建国」のスローガン記した黄色三角旗加えたもの、国歌中国国民党党歌そのまま使用し記念日国恥記念日除けば国民党国民政府のものをそのまま踏襲した政府発足後に、イタリア王国フランスヴィシー政権満州国などの枢軸国バチカンなどが国家承認した。しかし蔣介石政権とのしがらみがあったドイツ最終的に承認したのは1941年7月になってからだった。さらに日本との間で日泰攻守同盟条約結んでいたタイ王国が汪の南京国民政府承認した のは、対英米戦が始まってからの1942年7月になってからであった

※この「南京国民政府/汪兆銘政権成立」の解説は、「第二次世界大戦」の解説の一部です。
「南京国民政府/汪兆銘政権成立」を含む「第二次世界大戦」の記事については、「第二次世界大戦」の概要を参照ください。

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