南京国民政府、国民党一党時代(1945年 - 1996年)
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第二次大戦末期には中国国民党は、まだ台湾に移動していなかった。英国の最高機密文書「ウルトラ」によるとカイロ会談で、蒋介石とルーズベルトが密談し、ルーズベルトは蒋介石に「日本を敗戦に追いやった後、琉球群島をすべて中国にあげようと思うが、どう思うか」と何度も聞き、蒋介石は国共内戦の関係から断ったが、後に後悔を語ったという。その後、1941年から1948年には喜友名嗣正は中華民国のスパイとして工作機関「琉球革命同志会」を立ち上げ久米三十六姓の歴史や中華民族の概念を用いながら大中華主義の観点から中華民国による沖縄吸収工作を行っている。当時の中国国民党は日本への沖縄返還までカイロ宣言とポツダム宣言による沖縄の地位の解決を主張し続けていた。
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