医療の効果の統計的把握、医療への反省・批判・提案
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「医療」の記事における「医療の効果の統計的把握、医療への反省・批判・提案」の解説
詳細は「医学史」および「医学と医療の年表」を参照 「癒しのart(わざ)」であった伝統的な西洋医学には、(20世紀に)テクノロジーが持ち込まれ、「機械医療」へと変容した。 人々の「科学医療」「機械医療」に対する素朴な崇拝・信仰の状態は、1960年代まで続いた。 ところが、以下に示されるように、1960年代以降には医療の効果を否定する資料が整い[要出典]、医療が健康被害を与えていることが明らかになった。(下記に詳述)。 1971年、アメリカ公衆衛生学会会長で、ハーバード大学教授のカースは、衛生統計を分析し、次のように指摘した。 "現代医学の感染症予防措置や治療が、人々の平均寿命に寄与した" などと思うのは全く根拠が無い。医学的な措置・治療ではなく、むしろ環境や栄養の改善のほうが大きな役割を果たしたのである。 また、自身が医師であるロバート・メンデルソンは1970年代、同時点での根拠にもとづき、医療が害悪を及ぼしていることの証拠となるデータ[要出典]を次のように挙げた。 1973年にイスラエルで医師のストライキが決行された時には、診察する患者の数を1日あたり6万5000人だったところを7000人に減らした。そしてストは1ヶ月続いた。エルサレム埋葬協会によると、医師のストライキの期間中、人々の死亡率が半減したという。イスラエルでこれほど死亡率が減少したのは、1950年代に医者がストライキをした時以来である。 1976年、コロンビアの首都ボゴタで、医師たちが52日間のストライキを行い、救急医療以外はいっさいの治療を行わなかったところ、ストライキの期間中、死亡率が35%低下したという。コロンビアの国営葬儀協会は「事実は事実である」とコメントした。 同じ1976年、アメリカ合衆国のロサンゼルスでも医者らがストライキを行った。この時は、短期的に死亡率が18%低下した。ストライキの期間中、手術の件数は60%減少していた。そして、医師のストライキが終わり、彼らが医療活動を始めると、短期的な死亡率がストライキ以前と同じ水準に悪化した。 。 クエンティン・ヤングは、医者らが医療という名目のもとで組織的に大量の人間破壊(大量殺人)を行っていることを指摘して、それを医療による大量殺戮と呼んだ。 なお、ロバート・メンデルソンは、医師自身の手によるデータ・統計類は信頼できない、とも指摘した[要出典]。というのは、医師というものは自分にとって都合が悪いデータは偽りの分類をしたり偽りの報告をすることで隠蔽・改ざんする習性があるからだという。 ロバート・メンデルソン(en:Robert_S._Mendelsohn)は「医師のやっていることのかなりの部分が、人を死に至らしめる行為なのである。」と警告した。ただし、ロバート・メンデルソンは救急医療の価値については認めており、「医者はその医療行為の9割は行うのを止めて、救急医療だけに取り組めば、人々の健康状態は間違いなく改善されるはずだ」と評価した。 1977年、アメリカの社会評論家イヴァン・イリイチは「現代の医学は健康改善にまったく役立っていないばかりか、むしろ病人をつくり出すことに手を貸しており、人々をひたすら医療に依存させるだけである」と警告した。 「医原病」との概念を提唱した。 医学誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンの編集のフランツ・インゲルフィンガーは、予後が悪化するケースが存在すると1970年代に指摘した。 医療によって、疾患の予後に影響がなかった(=効果がなかった)ケース 80% 医療によって、疾患の予後が好転または治癒したケース 11% 医療によって、疾患の予後が悪化したケース 9% 一流医学誌のデータでこれが判明した。[要出典] イヴァン・イリイチらによる、医療の実態の指摘と、その改善を提唱する社会医学者と公衆衛生専門家による努力は、1984年の世界保健機関による医療の再設定の提唱に結実した。[要出典]
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