前期新人会とは? わかりやすく解説

前期新人会(1918 - 21)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 04:35 UTC 版)

新人会」の記事における「前期新人会(1918 - 21)」の解説

新人会結成の背景にあるのは、第一次世界大戦期起こったロシア革命米騒動など国内外での民衆運動高まり触発され学生動きである。 結成直接きっかけは、1918年10月京大学会との東西大学連合演説会同年11月吉野作造右翼団体浪人会」の立会演説会である。後者では参加した学生支持もあって演説会吉野圧倒的勝利終わった後、吉野指導下で「普通選挙研究会」で活動していた東大緑会法科学生自治会弁論部委員赤松克麿宮崎龍介石渡春雄らが1918年12月7日12月5日説もある)新人会結成した赤松起草した新人会綱領次のとおりである。 一、吾(わが)徒は世界文化的大勢たる人類解放の新気運協調し之が促進努む 一、吾徒は現代日本合理的改造運動従ふ さらに同じく宮崎弟子であった麻生久中心に社会問題研究行っていた大卒グループの「木曜会」(麻生の他には佐野学棚橋小虎山名義鶴野坂参三ら)も合流した会員新人会本部合宿し社会主義思想紹介などの啓蒙活動行った講演会地方遊説などによる全国的オルグ組織活動)を進めて各地大学専門学校学生を新思想へと結集させ、東京京都福井広島熊本秋田金沢能登大坂佐世保小倉支部置いた実践活動として普通選挙運動参加し、また「ヴ・ナロード」(人民の中へ)の旗印のもと、工場地帯労働者街に生活し労働者への啓蒙活動精力的に進めた。そして大日本労働総同盟友愛会の中の急進的分子結びつき1919年2月には東京亀戸永峰セルロイド工場渡辺政之輔(のちの日本共産党指導者)・出井喜作・庵沢義之を中心とする分会設け、これが「新人セルロイド組合」(全国セルロイド職工組合 / 同年5月6日結成)に発展した労働運動との関わり強くなる麻生赤松棚橋らのように職業的運動家になる者が増加し、この結果日本労働総同盟中心とする直接運動参加する実践派」と、社会改造理論化進めようとする「学究派」との対立生じた。また当時の社会運動の発展分化対応する必要から、1921年11月30日には会を在学生のみの団体改組する決定がなされ、いわゆる「前期新人会」は終焉することになった(翌1922年4月には機関誌『ナロオド』も終刊となった)。「実践派」卒業生中でも赤松宮崎らは無産政党指導者として、社民右派形成することになった学究派の卒業生蠟山政道三輪寿壮河野密らを中心に1922年社会思想社結成して同年4月には『社会思想』を創刊概ね社民中間派への流れへと進んだ

※この「前期新人会(1918 - 21)」の解説は、「新人会」の解説の一部です。
「前期新人会(1918 - 21)」を含む「新人会」の記事については、「新人会」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「前期新人会」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「前期新人会」の関連用語

前期新人会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



前期新人会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの新人会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS