初代 DA3PF/DA3PE/DA1PF/DAJPF型 (1986年 - 1993年)
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「フォード・フェスティバ」の記事における「初代 DA3PF/DA3PE/DA1PF/DAJPF型 (1986年 - 1993年)」の解説
マツダが開発して当時のオートラマ(現フォード店)で販売されていた車種。3ドアハッチバックでブリスターフェンダーがデザイン上の特徴である。直列4気筒SOHCの1,100 ccと1,300 ccが用意された。また、商用車仕様として室内後部を荷室優先の造りとしたフェスティバ・カーゴ(CARGO)も存在した。 エンジンは後にファミリアや、排気量を上げ縦置きとなってユーノス・ロードスターにも採用される事になるB型エンジンで、これは新規開発されたものだった。トランスミッションは、1,100 ccは4速マニュアルのみ、1,300 ccは5速マニュアルと3速ATが用意されていた。ダッシュボード内にクーラーボックスを備え、リアシートのスライド機能やリクライニング機能、全席フルフラットにもなる多彩なシートアレンジメントが可能であった。これらの特色は、発展型となるマツダ・デミオにも引き継がれる事になる。 現在の軽自動車と同等の全長とホイールベースによる取り回しの良さとその使い勝手やキャンバストップと呼ばれるオープンカー気分が味わえるサンルーフと、ヨーロピアンテイストのスタイルが女性ユーザーに人気を集め、日本フォードブランドで最大のヒット車種となった。 尾崎亜美の音楽とともに田中康夫がフェスティバのPVに起用され、キャンバストップを自分の言葉で語るなど、宣伝にも力が入れられ、オートラマオリジナルブランドの車両として、そのイメージを牽引する役目を担っていた。 代表格のキャンバストップの他に、車内からスイッチでコントロール出来る減衰力可変式ショックアブソーバーを備えたスポーティーグレード「S」や、各国フォード共通の最高級グレードである「GHIA」、中間グレードとも言える「GL」、廉価グレードの「L」という展開で発売された。尚、キャンバストップは「CANVAS TOP」グレードのみで、他グレードはクローズドボディである。(グレードによりスライディングルーフがオプションとして選べた) その後のマイナーチェンジで、キャブレター車のオートチョーク化に伴いチョークノブの廃止、メーター周りの文字色(橙色→白色)と照明色(橙色→緑色)の変更がなされ、ラグジュアリーグレード「GHIA」のシートが本革となる。新たにファミリア用1.6 L(B6型)エンジンをショートストローク化した、1.3 L 88 psのBJ型 DOHCエンジンを搭載した「GT」と「GT-X」なども追加された。当初GT・GTX共にクローズドボディのみだったが、後にフェスティバDC(DOHC-CANVAS TOP)が発売され、CMソングに浜田麻里のFOREVERが起用された。 またモデル末期には「GT-X」をベースに、ドイツのスカラ社がデザインした、往年のアバルトやアルファロメオの雰囲気にも通ずる、ロッソコルサ(イタリアのレーシングカーのナショナルカラーである、鮮やかな赤)の外板色に、丸型ヘッドライトのフロントフェイスを持つ「GT-A」が、300台限定で発売されている。実際のレーシングカーの識別色よろしく鼻先のみ白に塗り分けられていたが、派手な外観を好まない向きも考慮し識別色なし赤一色のモデルも用意された。外板や前後バンパーの変更により重量がわずかに増加しており、それに伴う排出ガス規制の重量ランクの変更による再申請を不要とするため、メーカー出荷時にエアコンは装着されておらず、ディーラー取り付けとされた。「GT-A」の企画は、無類のエンスージアストとしても知られ、当時オートラマに在籍していた中島秀之が手がけた。 1992年12月、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 1993年1月、2代目と入れ替わる形で販売終了。 GT-X 1.3 SXキャンバストップ GT-A
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