初代 D22型系 (1997年-2004年)
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「日産・フロンティア」の記事における「初代 D22型系 (1997年-2004年)」の解説
D22型系フロンティアは、1986年5月から1997年まで生産されたD21型系・ハードボディートラックを置き換えるべく、1998年モデルとして、1997年2月のシカゴオートショーで発表された。生産拠点は、テネシー州、スマーナ工場である。 この頃の日産は、経営再建前の低迷期であり、その影響は新型車開発にも影を落としていた。D21型系に比べ、強度の向上と、多少のサイズアップを伴ったモデルチェンジであったが、その構成に大きな変化は無く、当初のラインアップは、レギュラーキャブ(シングルキャブ)の2WDと4WDのみで、エンジンも直列4気筒、2.4LのKA24DE、一種類であった。この時点では、V6エンジンのVG30EからVG33Eへの切り替えが間に合わなかった。 1999年に、待望のキングキャブ(エクステンドキャブ)とV6、3.3LエンジンのVG33Eが追加されたが、やや遅きに失した感があり、D21系末期からの販売台数の落ち込みは容易に回復せず、トヨタ・タコマは言うに及ばず、ビッグスリーのコンパクトピックアップにもシェアを奪われていた。 2000年、クルーキャブ(ダブルキャブ)の導入という新たな変化があった。ダブルキャブは、日本やアジアではおなじみのタイプであるが、北米市場向けのコンパクトピックアップとしては、初めての導入となった。それ以前のダブルキャブは、フルサイズピックアップのうち、特にヘビーデューティーなものにしか存在せず、主に業務用であった。 2001年、それまでの地味な印象を払拭し、攻勢に転ずるべく、フェイスリフトを行う。若年層に訴えるより大胆なスタイルへと変更され、日産ディーゼルから供給を受けていたUDエンジン搭載の大型車を除き、MA09ERT以来2機種目となる、機械式スーパーチャージャー付のVG33ERを設定した。 2002年4月、ブラジルパラナ州サン・ジョゼ・ドス・ピニャイスのアイルトン・セナ工業団地にあるルノー工場にて生産開始。 2002年3月、第72回ジュネーブモーターショーに欧州向け「ピックアップ」のマイナーチェンジ車を出品。 2004年、フレームをはじめ、全てを一新したD40型系に置き換えられ、北米向けシングルキャブはこの代が最後となった。
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