初代館舎時代とは? わかりやすく解説

初代館舎時代(1992-2020)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 23:04 UTC 版)

紀宝町立図書館」の記事における「初代館舎時代(1992-2020)」の解説

紀州製紙(現・北越コーポレーション紀州工場から受けた寄付金元手に、1992年平成4年7月蔵書32,000冊の鵜殿村図書館として開館した開館時館長鵜殿村教育長兼務しており、2人臨時職員午前と午後交代勤務するという状態で、専任職員司書の岸葉子1人であった。岸は開館3か月前に採用されたばかりで、初出時に1万冊の購入図書選定任された。開館まもなく月1回の「おはなし会」を開始1995年平成7年)度には「映画会」も始めた2000年平成12年4月コンピュータによる蔵書検索システム導入した2003年平成15年)からは保健センター協力してブックスタート事業開始、4か月検診受けた乳児絵本を贈る活動行っている。また翌2004年平成16年)からは外部講師によるワークショップ開催し受講者多く読み聞かせボランティアとして活躍している。三重県内外から来館者を集め一方で紀宝町財政事情などを理由2008年平成20年4月1日から紀宝町以外の利用者貸出可能冊数減らしリクエスト予約受け付けないようになった2011年平成23年)度子どもの読書活動優秀実践図書館として文部科学大臣表彰受けた2020年令和2年12月26日移転準備のため閉館した移転後跡地利用未定である。

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初代館舎時代(1971-1998)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 18:24 UTC 版)

筑西市立図書館」の記事における「初代館舎時代(1971-1998)」の解説

1971年昭和46年4月に、県西地区初の図書館下館市立図書館」として開館した図書館下館市役所と同じ住所である下中山732番地1に、公民館武道館と合築された鉄筋コンクリート構造3階建て建築物一角置かれた。図書館部分の延床面積は527m2と県内公立図書館の中では小規模であった1988年昭和63年時点蔵書数下館市1人当たり0.9冊に相当する59,795冊であり、受け入れ雑誌は110種、新聞19種、同年度の貸出登録者数は2,508人、貸出冊数27,241であった職員数1989年平成元年時点で6人おり、うち司書2人であったこの頃茨城県図書館界で流行していた「読書感想画」の募集初め開催し集まった作品館内展示した1990年平成2年8月茨城県教育委員会進めていた「ステーションライブラリー」の第1号関東鉄道常総線下館駅設置された。

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