初代館長、米本信吾
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米本信吾は1883年(明治16年)3月6日、香取郡久賀村(現多古町)の農家の長男として生まれ、1904年(明治37年)3月千葉県千葉中学校を卒業した。24歳で米本図書館を開館し、館長となった。1950年に図書館の運営主体が財団法人となると、信吾は理事長兼館長となった。図書館長として以外に、香取郡書記、郡会議員、三等郵便局長、公選初代久賀村長となった。久賀村長は1947年4月から1949年4月まで務めた。また菅澤重雄とともに東京成徳学園の前身である王子高等女学校の設置者となった。文人でもあり、観水堂旭甫に師事、俳号は旭窓と号した。師の名跡を継いで、河東碧梧桐と平山独木の指導を受け、原人社の同人になっている。信吾は紫綬褒章を受け、昭和37年12月には多古町主催の紫綬褒章受賞祝賀会が行われている。また、1965年(昭和40年)には生存者叙勲により勲5等に叙され、瑞宝章を賜っている。1968年(昭和43年)没。
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