公訴時効前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 01:37 UTC 版)
オウム真理教の信者だった警視庁巡査長(事件当時31歳)は取り調べに対し、犯行の具体的な状況や、銃を神田川に捨てたことを1996年(平成8年)5月には詳細に供述していた。しかし、警視庁公安部はその事実を警察庁に5ヶ月間報告せず、世間に明るみに出ることもなかった。同年10月、マスコミ各社に「犯人は警視庁警察官」とする告発文書が捜査関係者と思われる匿名の人物から郵送され、10月25日には各社が供述を報道し始める。同年10月27日には「銃を捨てた」という供述に基づき神田川を捜索するも、事件から既に1年半以上経過しており、川底にヘドロが堆積していたこともあり発見には至らなかった。物証が発見されず、供述に矛盾点が多いとして立件は1997年(平成9年)6月に見送られた。なお、この巡査長はオウム幹部に情報を漏洩したとして1996年11月に懲戒免職され、1997年1月には地方公務員法違反容疑で書類送検されるものの起訴猶予処分となった。この供述を警察庁に報告しなかった責任から、警視庁は公安部長更迭と警視総監辞職に到った。 またテレビ朝日に脅迫電話をかけたとして教団建設省幹部が1995年9月に職務強要罪で逮捕された。最新の声紋鑑定機器での鑑定や電話の録音音声を複数の信者に聞かせた結果では90%の確率で同一人物とされたが「現段階での起訴は困難」として不起訴となった。 特別捜査本部は1999年(平成11年)に捜査のやり直しを決定し、捜査員が元巡査長との接触を繰り返すと新たな供述が捜査結果と合致するようになったことから、事件発生から9年余りを経た2004年(平成16年)7月7日、元巡査長の会社員、岐部哲也・教団防衛庁長官(当時)、教団建設省幹部の計3人が殺人未遂容疑で警視庁に逮捕された。 さらに、教祖・麻原彰晃の最側近だった当時の石川公一・教団法皇官房次官(事実上の長官)も島田裕巳宅爆弾事件の爆発物取締罰則違反容疑で別件逮捕された。しかし、元巡査長の供述が二転三転し、他の3人も当初から「自分は関係ない」と事件との関わりを否認するなど、証拠固めが困難になってきたことや容疑者らと実行犯との関係と役割が解明出来ないことから、東京地検は勾留期限を前に全員を処分保留とし7月28日に釈放され、9月17日に不起訴となった。 警視庁の特別捜査本部は、坂本堤弁護士一家殺害事件などで死刑判決を受けた早川紀代秀と端本悟を現場指揮役と実行犯と疑っているが、2人は犯行を否定している。 2008年(平成20年)3月、オウム真理教とは関係ない別の強盗殺人未遂事件で逮捕された男が犯行を示唆する供述をしていると報道された(詳細は後述)。
※この「公訴時効前」の解説は、「警察庁長官狙撃事件」の解説の一部です。
「公訴時効前」を含む「警察庁長官狙撃事件」の記事については、「警察庁長官狙撃事件」の概要を参照ください。
- 公訴時効前のページへのリンク