公訴時効寸前の逮捕と裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 20:24 UTC 版)
「松山ホステス殺害事件」の記事における「公訴時効寸前の逮捕と裁判」の解説
1982年の犯行後、福田和子は東京へ向かい、美容整形手術で人相を変え、捜査機関からの追及をかわしていた。 その後金沢市で生活していることが判明したが、捜査が及ぶ直前に逃亡した。公訴時効成立を直前に迎えた1996年に松山東警察署は逮捕につながる情報を提供した者に対して100万円の報奨金を支払うとした上に、公訴時効直前には女性を整形した病院も400万円の報奨金を出すとして、マスコミの報道が過熱していた。そうした中で、福井市の飲食店からなじみの客が手配者に類似しているとの通報があり、密かに採取した指紋が一致したために1997年7月29日に逮捕された。時効成立まで21日前の逮捕であった。 その後、福田は15年ぶりに松山市に身柄を送致されて取調べを受け、1997年8月18日に殺人罪で起訴された。公訴時効が成立する11時間前の起訴であった。 2003年11月、最高裁で福田の無期懲役が確定し、服役した。服役から1年4か月後の2005年3月、くも膜下出血にて和歌山刑務所で死去。享年58(満57歳没)。
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