交修図書室・図書館とは? わかりやすく解説

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交修図書室・図書館(1876-1928)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 17:31 UTC 版)

伊勢市立図書館」の記事における「交修図書室・図書館(1876-1928)」の解説

1876年明治9年)、明治維新による新政適した知識学び演説討論練習の場とすべく、「交修社」が結成された。発足当初の交修社は、社員集まって話し合いを行う程度活動だったが、1882年明治15年)になると村井らが機関紙志摩雑誌』を発行し社員豊川学校伊勢市立厚生小学校前身校の1校)に毎日集まって15時から22時まで読書行い知識交換し討論を交わすようになった。交修社は社員持ち寄った本と交修社で購入した本を合わせて960冊を所蔵し1882年明治15年4月3日に「交修図書室」の設立式を行い大世古町の小川稠吉宅を仮閲覧所とした。交修図書室利用社員限られいたものの、図書閲覧貸し出し業務行っており、三重県における図書館設立先駆的な取り組みとなった。 交修社の活動1887年明治20年)頃には低調となっていた。一方度会郡教育会第一支会では1904年明治37年)に日露戦争記念に図書館開設しようという計画浮上し、交修社に対して図書寄贈申し入れた。交修社はこれを容認し483962冊の図書寄贈した1905年明治38年4月3日開館式を厚生尋常小学校(現・伊勢市立厚生小学校)で挙行し、度会郡教育会第一支会の運営による交修図書館として、一般市民の利用も可能とした。交修図書館の設立は、同年1月開館した阿山郡教育会附属図書館(現・伊賀市上野図書館)に次ぐ三重県内で2番であった施設小川稠吉宅をそのまま使用した1906年明治39年)に宇治山田市制施行したのに合わせて運営者度会郡教育会第一支会が宇治山田市教育会改称し1908年明治41年9月豊川町宇治山田市男子高小学校移転した。交修図書館は貸し出し担当者のみ俸給支払われ、他の業務教育会会員無償奉仕従事した。貴重書は特別閲覧人のみ閲覧許し抜粋謄写許可しなかった。また大正時代には理容所に本をおいてもらう「床屋文庫」を展開し市民利便性高め活動行った高等小学校1921年大正10年3月廃校となったため、交修図書館は暫定的に宇治山田市第六尋常高等小学校(現・伊勢市立明倫小学校)へ移転したこの頃より独立した建物を持つ図書館設置しようとする運動宇治山田市教育会黎明会宇治山田市将来見据え調査・研究広報行った団体)の松葉太郎らによって展開された。彼らは市議会議員通して市長働きかけ宇治山田市神都公会堂図書館建設する計画進めることとなった宇治山田市常磐町にあった御師肥前太夫邸の一部専売局宇治山田出張所買収し岩渕町移築することに決めたであった

※この「交修図書室・図書館(1876-1928)」の解説は、「伊勢市立図書館」の解説の一部です。
「交修図書室・図書館(1876-1928)」を含む「伊勢市立図書館」の記事については、「伊勢市立図書館」の概要を参照ください。

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