二冠制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 01:42 UTC 版)
4月20日、クラシック三冠初戦・皐月賞 (GI)を迎える。「混戦」という下馬評のなか、ネオユニヴァースはオッズ3.6倍の1番人気に支持された。レースは前半1000mが61秒7というスローペースで流れ、そのなかでネオユニヴァースは中団を追走。最終コーナーでは馬群の中で進路を失いかけたが、わずかに開いた隙間を突いて一気に抜け出すと、最後はサクラプレジデント(2番人気)との競り合いをアタマ差制しての優勝を果たした。ゴール直後には、デムーロが嬉しさのあまり真横で俯くサクラプレジデント鞍上の田中勝春の頭を叩いてしまうという場面もあった。この行動は物議を醸したが、デムーロに決して悪気は無く、田中が「ちょっと寂しそうな、悲しそうな顔」をしていたのをみて励ましたつもりであったという。なお、さらに3馬身半差の3着にはエイシンチャンプが入った。 競走後、デムーロは「4コーナーでは前が横一線で入る隙がなく、このまま脚を余して負けるんじゃないかと思ったが、ラッキーなことに1頭分開いたので、迷わず突っ込みました。僕の馬は根性があるから、叩き合いなら負けないと信じていた。こんな大きなレースを勝てるなんて、最高のプレゼントをしてくださった神様に感謝したいです」と語った。また瀬戸口は、塞がった進路に隙間ができたこと、最後の競り合いに勝てたことについて「運があった」としつつ、デムーロの騎乗について「一瞬の判断というか、ひらめきというか、もの凄く良いものをもっている」と称えた。 皐月賞のあとデムーロはイタリアに帰国。当時デムーロは本国でブルーノ・グリツェッティ厩舎と騎乗契約を結んでおり、グリツェッティの意向によっては続く東京優駿(日本ダービー)に騎乗できない可能性もあった。しかし吉田照哉が同厩舎に所有馬を預けていた縁もあり、デムーロは再びイタリアを離れ、日本で騎乗することを許される。そして6月1日、ネオユニヴァースとデムーロは東京優駿(日本ダービー)へ出走。前日には台風の影響から大雨が降り、当日の馬場状態は「重」となった。ネオユニヴァースは単勝2.6倍で1番人気、サクラプレジデントが3.6倍の2番人気で、この2頭が「二強」とみられ、3番人気には皐月賞不出走で青葉賞(GII)を制してきたゼンノロブロイが入った。スタートが切られるとゼンノロブロイ、サクラプレジデントはいずれも先行し、ネオユニヴァースは後方につける。ネオユニヴァースは、状態が悪いため他馬が避けていた内寄りのコースを通って第3コーナーから先団へ進出。最後の直線では先に抜け出したゼンノロブロイを楽にかわして優勝を果たした。着差は半馬身であったが、デムーロがゴール前でガッツポーズを取ったほど余裕のある勝利であった。 皐月賞、ダービーの二冠制覇は1997年のサニーブライアン以来6年ぶり19頭目、外国人騎手の東京優駿制覇は史上初の記録となった。観客からは「デムーロ」コールが送られ、デムーロは感泣した姿をみせた。デムーロは後に「その喜びは自国のダービーを制したときに比べても、勝るとも劣らないものだった。これだけ多くのファンに見守られ、大きな声援を送ってもらえる競馬なんてそうはない。まして今回は、その舞台がダービーだったわけだから。僕はまるで自分がサッカーのナカタ(中田英寿)になったような錯覚に陥った」と感想を述べた。瀬戸口もダービー初勝利であり、「ダービーは競馬人の夢。その頂点に立つことができて本当に嬉しい」と語り、「ネオの根性のある所は(かつて管理した)オグリキャップに似ている」と述べた。吉田照哉は「この馬はずば抜けている。本当に馬が強かった。どんなときもマイペースで落ち着いているし、パワーもすごくある。完勝ですね」と称賛し、「今までのサンデーサイレンス産駒の中で、最良の種牡馬になる可能性を感じています。社台グループの馬が全部、掲示板に入ることができた上に5頭ともサンデーサイレンス系の馬だから完璧だね。(父である)(吉田)善哉さんに喜びを伝えたいよ」と語った。 なお10着となったエイシンチャンプの福永は後年「ネオユニヴァースには大きなポテンシャルを感じていたし、やっぱりああいう馬がダービーに勝つんだなと思った。でも、自分ひとりの力で上がってきたジョッキーではないので、あの選択はまちがってなかったと思うし、後悔もしていない」と述べている。
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