二六三空とは? わかりやすく解説

二六三空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 04:16 UTC 版)

笠井智一」の記事における「二六三空」の解説

1943年11月23日第二六三海軍航空隊(豹部隊)に配属263空内南洋防衛のために松山で開隊され、熟練搭乗員少数大半は甲飛10期などの若年搭乗員だった。1944年2月末から3月中旬の間に263空零戦49機がグアム進出戦闘基幹搭乗員戦死し笠井若年隊員中核となった1944年昭和19年4月中旬空戦神様呼ばれた杉田庄一一飛曹が着任笠井杉田の列機を務めた杉田着任した日に「俺の愛する列機来い」と笠井らを呼び酒盛りをした。笠井は、杉田静かな豪傑肌の人と評し、軍生活を通じてしっかりと空戦指導をしてくれた先輩杉田だけであった回想している。特に空戦では編隊から絶対に離れないことを教え込まれ、落そうと考えず一番機が撃った照準器など見なくてもいいから一緒に撃て、それで協同撃墜になると言われたという。また「捻り込み」など説明難し技術編隊訓練杉田の後に続いていくことで覚えられたという。 4月25日グアム飛来したB-24の迎撃参加。これが笠井にとって初の戦闘となったが、距離感掴め遠方から射撃してしまい、帰還後杉田から厳しく叱られた。5月1日一飛曹昇進5月末、263空連合軍ビアク島上陸応じハルマヘラ島カウ基地進出。しかし、米機動部隊マリアナ諸島接近しペリリュー島引き返した6月18日サイパン島沖の米上陸艦艇への攻撃参加笠井らは30kg爆弾2個を抱えペリリューからヤップ島経由向かい爆弾投下成功した。しかし、敵の対空砲火激しく多数敵艦機に追われ笠井編隊から逸れたが、無事にグアム帰還した6月あ号作戦により263空壊滅笠井搭乗員輸送機ペリリュー撤退した

※この「二六三空」の解説は、「笠井智一」の解説の一部です。
「二六三空」を含む「笠井智一」の記事については、「笠井智一」の概要を参照ください。

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