度重なる服役とフランスダービー制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/06 18:09 UTC 版)
「ビル・パイアーズ」の記事における「度重なる服役とフランスダービー制覇」の解説
1969年には71勝をあげた。この年騎乗したうち一番活躍したのはフェリシオ(Felicio) で、サンクルー大賞典を勝ったほか、日本のスピードシンボリも出たキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでは4着になっている。この年稼いだ賞金総額は100万ドルを突破し、パイアーズはフランスでトップクラスの騎手としての名声を手に入れた。パイアーズは世界で最も高い騎乗料をとる騎手として認知された。1970年のシーズン前には、今年パイアーズ個人が受け取る賞金は4万ドルは下らないだろうと見積もられていたが、これは競馬の騎手が受け取る額としては世界最高の額だった。フランスのチャンピオンオーナーで大富豪のダニエル・ウィルデンシュタイン、アメリカの大富豪ネルソン・バンカー・ハント、アラブの王族アガ・カーン4世らがパイアーズに騎乗を依頼した。 ところが、パイアーズは1970年6月のフランスダービー目前のシャンティイ競馬場のレースで違反行為をし、1ヶ月の騎乗停止処分を受けてしまった。さらに、騎乗停止期間中に飲酒運転をして車ごと溝に落ち、酒気帯び検査を拒否して警官と争い、飲酒運転と警官侮辱の罪で逮捕された。パイアーズは6ヶ月の実刑判決を受けたが、模範囚として56日で仮釈放された。ただし4年間の保護観察期間がついており、果たして、翌年1971年の1月には、また刑務所に戻ることになった。このときは2ヶ月服役したところで大統領の恩赦で出所することができた。 出所すると、パイアーズは1971年のフランスダービーに出た。騎乗したのは、フランスで最も有名なオーナーブリーダーだったフランソワ・デュプレ(François Dupré、1966年没)の未亡人が馬主のレフィック(Rheffic)である。パイアーズはレフィックでフランスダービーを制し、さらにパリ大賞典も勝った。この二冠制覇は史上22頭目だった。 この年、フランスの競馬シーズンが終わった11月9日にパイアーズはまたしても収監された。当時の新聞は、獄中でパイアーズがクリスマスイヴに何を食べたかまで報道した。(パイヤーズが食べたのはフォアグラとスモークサーモンを添えた七面鳥のディナー。) 1966年の事件に端を発する一連の問題は、最終的にはフランスの司法長官までを巻き込んで、解決には長く時間を要した。1967年の判決で出た刑期はまだ残っており、パイアーズは何か問題を起こせばすぐに刑務所へ戻って残りの刑期を勤めなければならない立場だった。これが遂に決着したのは1972年の11月である。1972年の競馬シーズンが終わったところで、司法長官は刑の再開を求めたが、1ヶ月の審議の末に法廷はパイアーズを放免する決定を下した。
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