度重なる機器換装と改番
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:26 UTC 版)
「阪急600形電車」の記事における「度重なる機器換装と改番」の解説
1948年6月、600 - 604の5両が主電動機出力を170kW×4に強化、台車も550形用に手配したとされる住友金属工業製KS-33に換装された。同時に605 - 609の電装を解除してMc-Tcの2両固定編成を組むこととなった。電装解除で捻出された電装品は550形に流用されている。 運用も600形2両編成による神戸線運用が復活したほか、650形制御車グループは900形及び連合軍専用車指定を解除された電動車グループの655 - 657の中間車として、655 - 657は前述の650形制御車を組み込んだ3両編成のほか中間に電装解除された96形を組み込んだ3両編成で運用され、時には920系の増結車として先頭に立つ姿も見られた。 1949年12月、阪神国道駅 - 今津駅間でブレーキ故障を起こした603-608の2連が操作ミスから勾配区間を転動してしまい、今津駅構内の車止めを突破して当時線路が繋がっていた阪神本線に突入、隣駅の久寿川駅のホームにすれて停車する事故を起こした(詳細は日本の鉄道事故 (1949年以前)#阪急今津線暴走事故を参照)。復旧時は後続の920系2両編成を連結、牽引させて阪急線内に戻した。 1951年3月より、ナニワ工機において車体更新工事が開始された。広幅貫通路を設けたMc-Tcの2両固定編成となり、運転台部分に乗務員扉を追設、ウインドシルもそれまでの2段から平帯となった。性能面でも台車と主電動機について、600 - 604のKS-33とSE-151を900形のL-17とSE-140に振り替え、654も同じ電装品で電装するとともに、655 - 657についてはモーターが2基搭載から4基搭載となり、電動車は全車150kW級電動機4基搭載と性能が統一され、電動車、制御車とも9両ずつの同数となった。 1952年10月、宝塚線規格向上工事の進捗に伴い、600系の宝塚線運用が開始された。1953年4月には車両番号の整理が行われ、電動車は600形、制御車は650形となり、同一形式内の電動車・制御車の混在が解消された。番号の変遷については以下のとおり。なお、表中の地色については、1944年改番時はオレンジ色で、製造時は黄緑色で表示している。 600形車番対照表600形改番年月車番1953.4600 601 602 603 604 605 606 607 608 1944.4600 601 602 603 604 655 656 657 654 製造時600 601 602 603 604 804 805 807 806 650形改番年月車番1953.4650 651 652 653 654 655 656 657 658 1944.4605 606 607 608 609 650 651 653 652 製造時605 606 607 608 609 800 801 803 802 1957年7月、1200系製造に伴う台車・主電動機の転用を行うこととなった。600形600 - 608は台車を920系に供出、550形の流用品に換装した。主電動機は1200系に供出し、300形より流用の82kW×4基となった。650形650 - 568も82kW×2基で電動車化され、全車両が電動車となった。600系は全車宝塚線に集結した。
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