度重なる悲運
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 01:54 UTC 版)
しかし、わずか4年後の1939年(昭和14年)には雪のため演芸場が倒壊。1940年(昭和15年)に加藤は「蛇の目」を閉店しオタモイ龍宮閣の経営へ専念するが、同年に弁天閣が地滑りで海岸まで流される。さらに第2次世界大戦の激化により行楽を自重する風潮が強まり、物資不足で経営が行き詰まる。その後、龍宮閣は小樽市の抵当に出される。1942年(昭和17年)加藤はオタモイ遊園地の経営を他者へ移譲。1946年-1947年(昭和21~22年)頃、オタモイ遊園地は再開されるが、1952年(昭和27年)には龍宮閣が焼失した。
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