度重なる合同拒否
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 02:18 UTC 版)
しかしそのことは銀行合同に対する当行の極端に消極的な態度につながり、 1926年(大正15年)の福山銀行・鞆銀行・世羅銀行・尾道銀行・芦品銀行・松山実業銀行との備後7行合同工作、1929年(昭和4年)の当行および尾道銀行・世羅銀行・山岡銀行との備南4行合同工作に際して当行は最終的に参加を拒否したが、これは本店を尾道銀行の所在地である尾道市におくか本行の本店所在地である府中におくかで紛糾し、本店銀行を尾道に奪われることを危惧した地元商工会による合併反対の声に応えたものであった。
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