度重なるトラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:15 UTC 版)
しかし、父親が建設会社の取締役で北尾はその一人息子として甘やかされて育てられたためか、少しでも厳しい稽古をさせると「痛い、痛い」と音を上げる癖があった。さらに口癖のように「故郷へ帰らせてもらいます」と発言し、6代立浪も北尾に対してではなく稽古を付けた兄弟子を注意する始末だった。黒姫山はこれに関して「幕下までは技術面に関しては手取り足取り教えますけど、関取になってからは口を出すこともない。ましてや私生活の面は、稽古が終われば僕たち親方衆は自宅へ帰ってしまいますから分かりませんからね。そのうち気が付けば、師匠が北尾に対して、腫れ物に触るかのような接し方をするようになっていて、僕らからも何も言えなくなってしまった」と後年語っている。そして、椎間板ヘルニアで途中休場して入院した時は、6代立浪への不信感を抱いて本当に故郷へ帰ってしまった。これに怒った父親が北尾を追い返すと、6代立浪は罰として一年間の便所掃除を命じた。さらに鞭打ち症で途中休場して伊豆へ温泉治療に行った際には、伊豆で廃業を決意して友人の家に行ったが立浪にすぐ発見され、懇々と諭されて連れ戻された。酷い時は稽古をサボって喫茶店に行くこともあったが、6代立浪が注意しないために誰もが見て見ぬふりをしていた。だが、高砂部屋への出稽古通いや隠れ稽古に関しては絶対に欠かさなかったという。
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