代々木錬兵場での初飛行とは? わかりやすく解説

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代々木錬兵場での初飛行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:52 UTC 版)

ファルマン III」の記事における「代々木錬兵場での初飛行」の解説

同年12月代々木錬兵場の一角現在の代々木第一体育館東側原宿駅入口バス停付近)に2基の天幕格納庫設置されファルマン、グラーデ両機が中野気球隊から運び込まれた。主催者臨時軍用気球研究会公開飛行試験日程新聞などに公表した当時多く一般日本人にとって飛行機空を飛ぶということはまだ信じ難い出来事だった。飛行実施日は、同月15日16日、また当日悪天候になった時のため17日18日予備日とされ、19日20日には撤収輸送完了するという予定だった。このため15日から19日にかけての5日間で約50万人観衆集まり会場周囲には屋台なども出店する賑わいとなった結果的に公式な記録として日本における初の動力飛行エンジン航空機による飛行)の日付、すなわち日本初め飛行機飛んだ日は、1910年明治43年12月19日とされている。この日、代々木錬兵場(現在の代々木公園)において、徳川好敏大尉フランス製の当ファルマンIII型複葉機操縦し日野熊蔵大尉ドイツ製のグラーデII型単葉機操縦し日本初の公式動力飛行成功した。これを記念して12月19日は「日本初飛行の日」とされている。 一方、その成功に至るまでの数日間には度重なるトラブル悪天候による延期などの紆余曲折があった。この経緯詳細(や飛行記録細かな数値)については、資料により多少異なっている。特に、数日間地上滑走演習中(14日16日)などに日野大尉のグラーデ機の方が少し先に"初飛行"を成功させた(と記録するべきではなかったか)、との観点論じられることも多く、これについては様々な説がある(また航空力学的には「飛行としなかった当時公式記録が妥当であるとする見方もある)。これらの点については約100年経過した今日でも多少見解分かれている。 ただし、ともすれば徳川日野大尉 本人同士当時あたかもライバル心を剥き出しにして"初飛行"の功名争奪競り合っていたかのようにイメージされることがあるが、これはおもに当時一部新聞などが大衆興味をそそるため一部脚色交えて報じたことなどに起因しており事実ではない。 ともあれ度重なるトラブル悪天候による延期などの紆余曲折経て19日には両者そろって飛行成功し公式記録とされた。今日の錬兵場跡(代々木公園内の南門付近)には、これを記念して日本初飛行離陸之地」・「日本航空發始之地」の石碑や、徳川日野大尉銅製胸像東京都による解説とともに立てられている。また19日当日撮影され写真など関連資料東京上野の国科学博物館展示されている(後述参照)。

※この「代々木錬兵場での初飛行」の解説は、「ファルマン III」の解説の一部です。
「代々木錬兵場での初飛行」を含む「ファルマン III」の記事については、「ファルマン III」の概要を参照ください。

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