度重なる官憲の弾圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 14:04 UTC 版)
「東京版」『種蒔く人』は官憲により度々の発売禁止と検閲による文書の削除を受けた。創刊号が発売と同時に発売禁止、第2号でも複数の掲載予定論文が削除されている。第4号は山川亮「『労働祭』前夜の曲」、井東憲「乱舞」のために発売禁止、第12号で前田河広一郎「変な客人」のために発売禁止、第14号でロシア革命記念号として「ゴリキイ・ラデツク」を特集したことから発売禁止とされ、都合4回の発売禁止処分を受けた。また、創刊号の宣言も度々文言に伏字が加えられている。種蒔き社主催の講演会・演劇も度々中止させられ、このような官憲の圧力は次第に種蒔き社の活動を圧迫していった。青野季吉は『種蒔く人』終刊後に種蒔き社が解散した理由について、経済的な行き詰まりを言及している。一連の弾圧の中で小牧が検事局で尋問を受けたこともあり、外務省職員でありながら反政府的な雑誌を主催していることが批判の対象となって1923年(大正12年)3月、小牧は外務省からの辞職を余儀なくされてしまう。中心的な役割を果たしてきた小牧の経済的困窮は雑誌の継続を危ぶませるものとなった。
※この「度重なる官憲の弾圧」の解説は、「種蒔く人」の解説の一部です。
「度重なる官憲の弾圧」を含む「種蒔く人」の記事については、「種蒔く人」の概要を参照ください。
- 度重なる官憲の弾圧のページへのリンク