度重なる嘆願
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:26 UTC 版)
大口の取引先であった宮廷が東京へ行ってしまい、公家たちの多くも京都を離れ東京に住まいを移していく中、川端道喜の収入は激減する。経営難に直面した十二代道喜は、盛んに宮内卿宛てに、川端道喜の経営難を訴え、援助を求める内容の嘆願書を送り付けた。嘆願を続ける中で十二代道喜は、16世紀初頭から明治初年の東京奠都直前までの350年あまり続けられた、「御朝物」の代金総額を算定したりもした。 嘆願の効果が出たのか、明治12年(1879年)1月29日、これまでの皇室への忠誠を賞し、川端道喜は士族に列せられ、菊の紋章入り銀杯と300円が下賜された。 しかし十二代道喜はここで嘆願を止めなかった。今度は嘉永5年(1853年)に与えられた二十人扶持の復活を宮内大臣の土方久元に嘆願した。しかしこの嘆願は約10年間店晒しされたあげく、曾禰荒助大蔵大臣から却下が通告された。
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