主食として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 10:43 UTC 版)
パプア・ニューギニア高地のワギ渓谷にあるクック遺跡での発掘によって、オーストロネシア人の到来以前の完新世前期にオーストラリムサ(Australimusa)というニューギニア在来種が人の手によって栽培されていたいくつかの証拠が見つかっている。東南アジアからニューギニアにかけての地域で栽培化されたバナナは、マレー・ポリネシア系民族が太平洋の島々に移住していくに連れて、それらの島々にも広がっていった。 また、西のインドにも栽培化から日を置かず伝播していった。このため、東南アジアからインドにかけての地域においては現在の主要品種以外にも多くの種類のバナナが存在している。東南アジアにおいては、より安定し貯蔵性にも優れたうえ収穫量も高いイネという植物が出現したため、原産地であるにもかかわらずバナナの重要性は限定的なものとなった。一方、伝播した先のオセアニアやアフリカにおいてはバナナをしのぐ栽培植物が出現しなかったため主要な食糧のひとつとなり、非常に重要な地位を占めることとなった。 ダン・コッペル著『バナナの世界史』 によると、古代のインド以西の中東地域において、バナナはイチジクと呼ばれていた。マケドニア人のアレクサンドロス3世はインド遠征でバナナを見た時、これをイチジクと記したとされる。また、アラビア語で書かれた『コーラン』(イスラム教の聖典)に出てくる楽園の禁断の果実「talh」はバナナと考えられており、ヘブライ語『聖書』では禁断の果実は「エバのイチジク」と書かれているとされる。このことから、実は『創世記』に出てくる知恵の樹の実は、通説のイチジクではなくバナナであったとする仮説がある。なお知恵の樹の実をリンゴとする俗説はこれより後世の誤訳に由来する。確かなことは、リンゴは寒冷な中央アジア原産とされ、エデンの園があったとされるペルシャ湾岸では育たないということである。 一方、西のアフリカ大陸にも、マレー系民族の移住したマダガスカルやアフリカ大陸東岸から紀元前後にバナナが伝播した。バナナは熱帯雨林でも栽培ができ、それまでの主作物であったヤムイモに比べて手間もかからず収量も多いため、コンゴ盆地や西アフリカの熱帯雨林地域に急速に広がっていった。コンゴ盆地には5世紀に到達し、これによって熱帯雨林に農耕民が展開することが可能になり、さらに余剰を生み出すことで人口が増加し、交易や文化が発達していった。 大航海時代、アメリカ大陸がヨーロッパ人により"発見"されて移民が始まると、1516年にスペイン領カナリア諸島からカリブ海のイスパニョーラ島にバナナが導入された。奴隷貿易によってアメリカに移住させられた奴隷の故郷はバナナ生産地域であり、彼らによってバナナはカリブ海や中南米の熱帯地域へと広まった。
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