主題詩とは? わかりやすく解説

主題詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 01:51 UTC 版)

お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」の記事における「主題詩」の解説

この詩の作者である山田 康文(やまだ やすふみ、1960年昭和35年6月2日 - 1975年昭和50年6月11日)は、重度脳性麻痺患う障害児であり、1968年昭和43年)に明日香養護学校入学し向野幾世受け持ち生徒となった知能は正常であったものの、発声手足動作も不自由で、学校内で最も重い障害持ち主であったが、向野1972年昭和47年)に同校言語訓練担当となったことで多く言葉表現し、それらが日記のように書きためられていた。後に奈良障害者施設建設進められ、その資金集めのため、同校障害児作った詩にアマチュア音楽グループ奈良フォーク」が曲をつけて歌うイベントわたぼうしコンサート」の開催決定した。康文もこれに参加し書きためたノート内容をもとに作り上げた詩が、本書主題となる詩である。 詩の製作にあたっては、向野いくつも文章提示し、康文はそれが自分意図する表現合っているかどうかを目や舌のみの仕草で示すという、地道な方法がとられた。一例として、詩は「ごめんなさいね おかあさん」の書き出しで始まるが、この一言とっても、「ごめんね」「ごめんなさい」など、意味は同じでも表現異なる無数の言葉から、康文の想いに最も適したごめんなさいね」を選び出すだけで、約1か月要していた。 詩の内容は、自分の母に宛てたものであった。康文は母の助力通学しており、母の体力家業大変な負担をかけていた。また当時1960年代から1970年代にかけて日本未だ障害者差別著しく周囲からの奇異視線心ない言葉投げかけられ、母が悲しむことも多かったそうしたことで苦労をかけている母に対し自分障害者として生まれたことを詫び内容の詩であった。これに心を打たれ母親は返詩として、自分息子障害者として生んだことを詫びとともに息子希望として今後生きてゆくことを詩に書いた。康文はさらに返詩として、母へ感謝障害受け入れて生きていくことを書き、詩が完成した1975年昭和50年)、第1回わたぼうしコンサート」が開催。しかし康文の詩に対しては、フォーク一同が「訴えるものが強すぎて、とても曲が付けられない」「へたに曲をつけると詩の命が死んでしまう」「胸が詰まって歌えない」と言い合ったことから、曲がつけられることはなく、向野による朗読として発表された。 この「わたぼうしコンサート」に、テイチクエンタテインメント当時の社長である南口重治が来場していたことから、同コンサート全国でも初めての福祉レコードとなることが決定した。しかし康文はその完成を待つことなく15歳誕生日迎えた直後の同1975年6月不慮の事故により死去した

※この「主題詩」の解説は、「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」の解説の一部です。
「主題詩」を含む「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」の記事については、「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」の概要を参照ください。

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