上越大和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 02:56 UTC 版)
1975年(昭和50年)7月に上越地方を代表する商店街となって高田の銀座と呼ばれた 本町に地元の商店主11人が作った地上6階・地下1階の イレブンビルの核店舗として開店 1985年(昭和60年)2月にいづも屋百貨店が閉店した 後は地域唯一の百貨店として営業し、催事場やアートサロンでは数多くの展覧会やイベント開催などを通じて地域の文化の中心としても機能していた。 しかし店舗を開設した本町商店街とその周辺の高田の旧市街地は道路が狭く、駐車場が少ないために昭和40年代からモータリゼーションが進んだことへの対応が遅れていた上、1971年(昭和46年)4月29日に高田市と直江津市は対等の立場で合併した経緯から、旧高田市の中心市街地と旧直江津市の中心市街地の中間である春日山駅東の木田地区に市役所が建設されて当店開店の翌年1976年(昭和51年)4月10日に完成して当店の近隣の本町3丁目に在った市役所が移転した のを皮切りに文化会館、総合体育館が建設されて上越市における行政・文化の中心が移動する など店舗周辺の空洞化が進み、1985年(昭和60年)にいづも屋百貨店の後継店舗イヅモヤジャスコが郊外の土橋に開業した のを皮切りに、1994年(平成6年)4月に上越ウイングマーケットセンター、1996年(平成8年)3月に富岡にジャスコ上越店が土橋から再び移転して開業する など大型商業施設の郊外化が進み、本町商店街が半径1キロ前後の住民を対象に2009年(平成21年)末から2010年(平成22年)1月にかけて実施したアンケートで商店街を主な買い物先にする人は8%、スーパーとショッピングモールが68%となり、上越市で最もにぎわうのはジャスコ上越店を中心とする地区といわれ、本町商店街の歩行者数が1995年(平成7年)の65%減となるほど店舗周辺の集客力が低下してしまった。 こうした本町の衰退を受け、2002年(平成14年)2月に近くにあった長崎屋高田店が撤退し、その店舗跡へのテナント招致が上手く行かずにそのビルの所有権が差押えを経て競売になり、保有していた会社が破綻する ほど大幅な売上減、客数の減少が生じて空き店舗も増加する状況となる など店舗周辺の商業環境の悪化もあって、2009年(平成21年)2月期に売上高が前期比で約3.77億円減の約26.67億円と当時7店中最大の減少率となるなど落ち込みが目立った為、2010年(平成22年)4月25日に閉店した 閉店後は近隣のホテルのランチ客が約30%も減るなど旧店舗周辺の人通りが減少して空洞化が進んだが、一方では上越市が空き店舗対策として改装費の半額(上限100万円)を補助する制度や上越市が家主に値下げを働きかけて10年前より家賃は約30%-40%下がったことなどが効果を上げて2010年(平成22年)3-5月に本町3-5丁目に大和関連以外の8店を含む17店出店するなど空洞化とは逆の動きも見られている。 閉店後店舗の入っていたイレブンビルを解体して2階程度の低層の商業施設を新築する方向でイレブンビル幹部らでつくるワーキンググループは2009年(平成21年)12月以降に国や市の支援を受けて検討していたが、2011年(平成23年)3月には国から2.35億円、市から1億円の補助金を見込んで解体費込みの総事業費6.22億円で市民が気軽に集える交流スペースや広場のある平屋建ての商業施設を建設する計画を固めた。2013年(平成25年)3月に「イレブンプラザ」として開業している。 しかし、この施設の核テナントとして複数の百貨店に小規模店舗の誘致を働き掛けたが前向きな回答は得られず、具体的な出店計画は浮上していない。
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