ヴォルムス帝国議会からヴァルトブルク城へとは? わかりやすく解説

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ヴォルムス帝国議会からヴァルトブルク城へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 03:01 UTC 版)

マルティン・ルター」の記事における「ヴォルムス帝国議会からヴァルトブルク城へ」の解説

1521年4月ルター支持諸侯たちや民衆の声に押される形で、ルターヴォルムス帝国議会への召喚が行われた。皇帝カール5世何よりルター問題からドイツ解体へ至ることを恐れていた。議会において、ルター自分著作並べられ前に立ったルターはまず、それらの著作が自らの手よるものかどうか尋ねられ次にそこで述べられていることを撤回するかどうか尋ねられた。ルター第一質問にはうなずいたものの、第二質問に関してはしばらくの猶予願った熟考したルター翌日自説撤回あらため拒絶。「聖書書かれていないことを認めわけにはいかない。私はここに立っている。それ以上のことはできない神よ助けたまえ」と述べたとされる議会処分決定する前にルターヴォルムス離れ、その途上消息を絶ったように見せかけて、賢公フリードリヒ3世元に逃げ込みヴァルトブルク城にかくまわれた。1521年5月25日カール5世の名前で発布されヴォルムス勅令ルタードイツ国内において法律保護の外に置くこと(帝国追放)を通告し異端者としてルター著作所持禁止したルターはそこで「ユンカー・イェルク」(騎士ゲオルク)の偽名用いて一年余りすごした。ここでの生活は時として精神的な試練であったルター言っている。しかしルターはそこで十分に思索著述専念することができた。ここで有名な新約聖書ドイツ語訳が行われた。聖書ドイツ語訳したのはルター初めてではなかったが、エラスムスギリシア語テキストをもとにしたこの聖書は、後にドイツ語発達大きな影響与えるほど広く読まれることになる。同時にこの時期修道生活を否定する論文著述している。 ルター不在状況には深刻な弊害が伴うことになったヴィッテンベルクではカールシュタット過激派リーダーシップとっていたが、ツヴィッカウから再洗礼派指導者がやってきたことも重なって教会破壊から始まって市内無法状態の様相を呈するようになった1522年5月7日、見かねたルター一年沈黙破ってヴィッテンベルク人々前に再び姿を現し数回にわたる説教過激派糾弾暴力を伴う改革否定し行き過ぎ警告したルターはここで新し典礼祭式定め説教著述活動続けた人文主義大家であるエラスムスルターの間の関係は、当初どちらも距離を置いたのだったエラスムス人文主義研究ルターの説に大きな影響を与えたものの、ルターエラスムスどちらもお互いの説が自らと違うところを目指していることを知悉していた。この違いはやがて1524年から1525年にかけての論争として表面化し、この結果人文主義宗教改革の関係は冷却化することとなった聖書には論拠はなかったが、カトリック教会では伝統として聖職者独身守られてきた。そのため司祭であったルター独身生活続けていたが、徐々にその意義について疑問を持つようになったルター肉体的欲望そのものは罪であり悪いことであると考えていたが、結婚によって肉体的欲望正当化され罪にならなくなると考えようになった。また修道者のように神のために結婚しないことをよいものである認めていたが、その反面、常に肉体的欲望悩まされるのなら結婚するべきだと思うようになった結果としてルター数多く修道者たちに結婚斡旋するようになった自身1525年6月41歳時にカタリーナ・フォン・ボラという15歳年下26歳元修道女と結婚し三男三女ヨハネスエリーザベト生後8か月死去〉、マグダレーナ13歳死去〉、マルティンパウルマルガレーテ)をもうけた家庭円満で、一家以前ルター暮らしていた修道院建物住んでいた。

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