ヴァイマル共和政の守護者として
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「国旗団 (ドイツ社会民主党)」の記事における「ヴァイマル共和政の守護者として」の解説
国旗団の目的は、国家社会主義者・共産主義者・君主制復古主義者のいずれとも戦い、ヴァイマル共和政を守ることにあった。国旗団の団長である社民党の政治家オットー・ヘーシンク(ドイツ語版)は「鉄兜団、青年ドイツ騎士団(ドイツ語版)、ヒトラー近衛兵およびその他類似の君主主義的諸組織、そしてそれらと結託している共産主義者が共和政に挑戦している」「君主主義者と共産主義者は大企業・大土地所有者から、あるいは外国の政府から得た潤沢な資金で以って、あらゆる手段で我々に挑んでいる」「共産主義者の赤色戦線戦士同盟は、共和国あるいは我々に対するその闘争において、これら君主主義者の忠実な支援者としての己が姿を実際に示してきた」としたうえで「共産主義者や君主主義者の席は国旗団にはない」と論じた。 またヘーシンクは1931年に国旗団を「鉤十字(ナチ党)及びソビエトの星(共産党)と戦い、ヴァイマル共和政と民主主義を守護する非狂信者の防衛組織」と定義している。国旗団の隊員は1848年革命とヴァイマル憲法で定められた共和国の国旗「黒・赤・金」の守護者を自負していた(一方保守・右派勢力は帝政時代の国旗「黒・白・赤」の守護者を自負した)。 国旗団の団長ははじめヘーシンクが務め、その代理がカール・ヘルターマン(ドイツ語版)だったが、後にヘルターマンが団長となった。団員数は1925年1月に300万人、1926年に350万人に達している。1932年の時点では300万人だった。この規模はナチ党の突撃隊や共産党の赤色戦線戦士同盟を大きく上回っており、ドイツ最大の準軍事組織であった。ただ団費を収めるだけの形式的な団員も多く、積極的に活動に参加する団員は100万人弱程度だったと見られる。 突撃隊や赤色戦線戦士同盟による暴力活動が拡大する中、国旗団の役割はますます重要となっていった。 1930年の国会選挙でナチ党が社民党に次ぐ第二党に躍進した。それまで共産党の赤色戦線戦士同盟との抗争に最も力を入れてきた国旗団であったが、これを機にナチ党の突撃隊との抗争に力を入れるようになった。国旗団の団長ヘルターマンは突撃隊を敵ながら見事な組織と評価し、突撃隊にならった組織再編をおこなった。まず国旗団の活動部隊を「主要隊(Stammformationen(Stafo))」とエリート隊員を選抜した「防衛隊(Schutzformationen(Schufo))」に分割。この防衛隊には1931年春の時点で25万人の隊員があった。1931年には社民党や社民党系労働組合連合のドイツ労働組合総同盟(ドイツ語版) (ADGB)や国旗団などの連携によって「鉄の戦線(ドイツ語版)」が結成されたが、その中核となったのも防衛隊であった。防衛隊の隊員はグリーンのシャツにブルーの縁なし帽、黒い乗馬ズボンといった出で立ちであり、明らかにナチス突撃隊の制服に影響を受けていた。 防衛隊はナチ党が政権を掌握した際の武装蜂起を想定して訓練をおこなっていた。ナチ党政権掌握前にはヴァイマル共和政擁護派が多かった警察から警察官を軍事教官として派遣してもらい、小銃や機関銃の射撃訓練、衛生兵の養成、政治学習、野戦や市街地戦の訓練などを盛んにおこなった。負傷隊員を治療する病院や、戦闘部隊への補給センターまで備えていた。様々な武装蜂起計画も練った。たとえば国旗団のマクデブルク本部では、ナチ党が一揆か、あるいはそれに近いやり方で政権を掌握した場合、ただちに鉄道分岐点を占拠し、鉄道道路と主要道路を封鎖し、さらに橋梁を爆破し、電話線を切断することとしていた。それを可及的速やかに実行する部隊が防衛隊であった。 しかしリベラル左翼である社民党はこうした国旗団や防衛隊の「兵隊ごっこ」を好ましく思っていなかった。防衛隊結成からしばらくして党の許可なしに武器を集めることを禁止した。社民党党首オットー・ヴェルスはヴァイマル共和政が危険な事態となれば、ヴァイマル共和政を守るために警察が自ら武器を我々に供給してくれるだろうと思っていた。ヘルターマンはヴェルス以下社民党幹部のこうした言説を「弱気な言い逃れ」と批判し、党本部の意向を無視して隊員に独自に武器を集めることを許可し、防衛隊員には最低でも拳銃を所持させた。なお国旗団の武器の出所はたいてい警察だった。 1932年7月、保守派のドイツ首相フランツ・フォン・パーペンは、社民党のオットー・ブラウンが首相を務めるプロイセン州政府に対して「プロイセン・クーデタ(ドイツ語版)」を起こし、ブラウン以下社民党系のプロイセン州要人を強制的に追放して社民党やヴァイマル共和政派の砦としてのプロイセン州を破壊した。パーペンが非民主的なやり方でプロイセン州の政権を強奪したと判断した国旗団は武装蜂起の準備を開始したが、社民党系の労働組合である労働組合総同盟(ADGB)が武装蜂起に反対して妨害してきたため、結局断念している。
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