ロシア軍駐留問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:10 UTC 版)
「沿ドニエストル共和国」の記事における「ロシア軍駐留問題」の解説
1992年のモルドバと沿ドニエストル共和国の停戦協定により、ロシアの平和維持軍の駐留が認可され、現在1200人のロシア軍が沿ドニエストル共和国に駐留している。沿ドニエストル共和国以外のモルドバ領内にソ連時代から駐留していたロシア軍は、1993年1月までにロシアに完全撤退した。 1994年10月、モルドバとロシアの間で3年以内のロシア第14親衛諸兵科連合軍の撤退合意が成立したが、ロシア側は議会批准が終了していないとして事実上棚上げとなっていた。 1995年4月、第14親衛諸兵科連合軍は在モルドバ共和国沿ドニエストル地域ロシア軍作戦集団に編成された。2010年代には2個大隊、1,500人以下の兵力に縮小された。 1999年、OSCEイスタンブール首脳会議において、2002年末までに沿ドニエストル共和国駐留ロシア軍の兵器弾薬類の完全撤去が義務付けられたが、沿ドニエストル共和国側の抵抗等もあり撤退が進まず、2002年12月のOSCE外相理事会においては撤退期限が2003年末まで延長された。しかし右期限も守られず、それ以降も撤収は遅々として進んでいない。 2004年12月、モルドバ外務大臣アンドレイ・ストラタンは、第12回欧州安全保障協力機構(OSCE)閣僚理事会での演説で、「モルドバの領土におけるロシア軍の存在は、モルドバ当局の政治意思に反し、モルドバ当局によって国家の領土に違法に展開した外国軍の占領と認定され、国際規範や原則に違反している」と述べた。 2007年の時点で、ロシア側は既にその義務を履行したと主張。残留している軍隊は1992年の停戦の下で認可された平和維持軍として奉仕しているためイスタンブール協定に違反しておらず、紛争が完全に解決されるまで残ることになる、と説明した。 2008年11月18日の北大西洋条約機構(NATO)決議では、ロシアに対し、トランスニストリアから軍事力を撤退するよう促した。 2009年3月、ロシア連邦大統領ドミートリー・メドヴェージェフ、モルドバ大統領ウラジーミル・ヴォローニン、トランスニストリア大統領イーゴリ・スミルノフによる三者会合が行われ、既存の平和維持活動の安定的な役割に留意しつつ、トランスニストリアで和解が成立した暁には、OSCEの監督下での平和保証活動に移行することが望ましいとする共同宣言が署名された。 2012年3月に就任したニコラエ・ティモフティ大統領は、モルドバの合意なしに不法にモルドバ領内に駐留しているロシア軍は撤退するべきであるとして、トランスニストリア地域に展開する「平和維持部隊」は国際委任統治下の文民ミッションへ変更させるべきである旨度々発言している。 モルドバは停戦協定で認可された兵士は500人未満であると考えており、2015年には、モルドバの空港を利用しようとする員数過剰のロシア兵を逮捕、国外追放し始めた。ロシア兵が沿ドニエストル共和国に向かうには、キシナウ国際空港からティラスポリまで陸路で移動する必要がある。モルドバは長年、ロシア軍将校や兵士が空港を経由して沿ドニエストル共和国に向かうことをほぼ認めてきたが、国際平和維持軍であることが明確でない者や、十分な事前通告がない者は、空港使用を拒否することもあった。キシナウ空港は、平和維持軍の職員、将校、兵士の移動の可能性にしか応じない可能性が高い。第14衛兵軍の兵士の通過は違法となる。 2016年6月27日、沿ドニエストル共和国で新しい法律が施行され、マスメディア、情報通信ネットワーク、インターネットの利用を含め、沿ドニエストル共和国・モルドバ共和国におけるロシア軍の平和維持活動を批判する行為や公の発言、あるいはロシア軍の平和維持活動に対する沿ドニエストル共和国政府によって「偽」とみなされる解釈を提示することを罰することになった。
※この「ロシア軍駐留問題」の解説は、「沿ドニエストル共和国」の解説の一部です。
「ロシア軍駐留問題」を含む「沿ドニエストル共和国」の記事については、「沿ドニエストル共和国」の概要を参照ください。
- ロシア軍駐留問題のページへのリンク