ラウルカストロとは? わかりやすく解説

カストロ【Castro】


ラウル・カストロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/04 09:50 UTC 版)

ラウル・カストロ
Raúl Castro


任期 2011年4月19日2021年4月16日

任期 2008年2月24日2018年4月19日
副大統領 ミゲル・ディアス=カネル

任期 1976年12月3日 – 2008年2月24日
元首 フィデル・カストロ国家評議会議長

キューバ共和国
初代 革命軍事相(国防相)英語版
任期 1959年2月16日 – 2008年2月24日

任期 2008年2月24日2009年7月16日

出生 (1931-06-03) 1931年6月3日(94歳)
 キューバ ビラン英語版
政党 キューバ共産党
配偶者 ヴィルマ・エスピン英語版1959年 - 2007年
署名

ラウル・モデスト・カストロ・ルススペイン語: Raúl Modesto Castro Ruz, 1931年6月3日 - )は、キューバ政治家軍人革命家。兄のフィデル・カストロとともにキューバ革命を指導した。

革命後は、同国の最高指導者となったフィデルの後継者として、革命軍事相(国防相)、キューバ共和国国家評議会第一副議長、閣僚評議会第一副議長、キューバ共産党中央委員会第二書記などを歴任したのち、2008年2月24日、フィデルの退任に伴い、国家評議会議長国家元首)兼閣僚評議会議長首相)に就任[1]。2018年4月19日に両職から退任し、国家評議会、閣僚評議会のミゲル・ディアス=カネル第一副議長に譲り、2021年4月には共産党第一書記の座もディアス=カネルに譲り第一線を退いた。

来歴

生い立ち

ビランにて、ガリシア人移民の父アンヘル・カストロ・イ・アルギス英語版と、ガリシア人を祖先に持つキューバ人の母リナ・ルスとの間に、男兄弟3人の末子として生まれる。フィデルとラウルには、兄弟のほかに4人の女姉妹(その内の1人にフアニータ・カストロがいる)、そして片方の親が違う兄弟が2人いる。

幼少期は兄フィデルと共にハバナの私立小学校コレヒオ・ベレンなどのイエズス会学校で教育を受け、ハバナ大学では社会科学を専攻した。成績優秀だったフィデルに比べ、ラウルは平凡な学生だったという[2]

革命以前から社会主義政党であるキューバ人民党に入党するなど、兄のフィデルよりも当初から共産主義に傾倒していたとされ[3][4]、学生時代にはフィデルと共に積極的に学生運動に参加していた[5]。また、1953年には、ヨーロッパを旅行中に、KGBニコライ・レオノフ英語版と接触している[3]

キューバ革命

1958年、ラウル(左)とゲバラ(右)

1953年、7月26日運動のメンバーとしてモンカダ兵営襲撃に参加し、逮捕・投獄され、1955年に恩赦で釈放された[6][7]。釈放後はフィデルと共にメキシコに亡命し、1956年12月にグランマ号に乗り込み再びキューバに戻ったが、上陸後すぐにキューバ空軍に発見されマエストラ山脈に逃げ込み、ゲリラ戦を展開した。

1958年2月27日、ラウルはフィデル、フアン・アルメイダと共に東部方面の指揮を執り、チェ・ゲバラカミロ・シエンフェゴスは西部方面の指揮を執りハバナを目指すことになった。6月26日には、オリエンテ州で10人のアメリカ人と2人のカナダ人を拉致し、27日にはアメリカ海軍兵士24人を人質にした。ラウルはキューバ空軍の空爆を停止させることに成功し人質を解放したが、これに反発したアメリカ合衆国バティスタ政権への軍事支援を強化した[8]

1959年8月、サルバドール・アジェンデ(右端)と会談するラウル(左端)

10月にはオリエンテ州を掌握し、また、別働隊を率いるゲバラがサンタクララの戦いで勝利したことで大勢が決し、1959年1月にバティスタはドミニカ共和国に亡命した[9]。バティスタ政権崩壊後、ラウルは政権軍幹部の処刑を指揮・実行した[10]

キューバ革命後、フィデルを首班とする政権が発足すると、1959年に革命軍事相(国防相)英語版に就任している。1965年10月にキューバ共産党が結成されると第二書記に就任し、政権のNo.2となった。

ゲバラが1965年にキューバを去った遠因に、ラウルとの確執があったとの見方もある(ゲバラをフィデルに引き合わせたのはラウルである)。

フィデルの後継者

権力継承

ラウル・カストロ(2008年12月18日)

1976年の憲法制定で国家評議会第一副議長に就任し、1986年に兄が初めて「後継者はラウル」と明言した。

1994年7月26日の革命記念日では、兄に代わって初めて演説を行った。その後、1997年の党大会で正式に後継者に指名された。近年は、かつては激しく対立した中華人民共和国との関係改善を進め、自らも代表団を率い訪中。2008年には国家主席である胡錦濤の訪問に敬意を払った。

2006年7月31日、フィデルが腸の手術を受けたために、その権限が数週間ラウルに委譲されると発表された[11][12] が、その後フィデルの回復が高齢のためか思わしくなく、暫定期間は1年半ほど続いた。同年に行われたインタビューでは「私は控えめな性格なので、公の場に出ることには慣れていない」とコメントしている[13]

2010年2月22日、チャベス(左から2人目)とラウル(右端)

2008年2月19日、フィデルが引退を発表し、5日後の2月24日に597議員の全会一致で国家評議会議長に選出された[14]。国家評議会議長就任にあたり、「国防などの重要な事項については兄の助言を求める」と述べ、議会もこれを認めた。また、大学生に向けた演説でも「フィデルは我々にとってかけがえのない存在」と発言している[15]

国家評議会議長に就任するまでは、国家評議会第一副議長、閣僚評議会第一副議長(第一副首相)、キューバ共産党中央委員会第二書記を務めていた。近年はスーツを着用することも多かった兄とは違い、人民権力全国会議(国会)などの公の場では一貫して軍服姿を通していたが、2006年に兄から暫定的に権限を移譲されて以降、非同盟諸国首脳会議等の場でスーツ姿で登場するようになった。

2011年4月19日、党大会においてフィデルの正式辞任により、2006年より代行を務めていたキューバ共産党中央委員会第一書記に就任した[16]

2013年2月24日、国家評議会議長に再任された。同時に「これが私の最後の任期となる」として、この任期満了となる2018年での引退を明言し、副議長には有力な後継候補と見られているミゲル・ディアス=カネルを任命した[17]

2016年4月16日、第7回キューバ共産党大会が開催され第一書記に留任した。党大会では党・政府の役職に就任出来る年齢を70歳までに制限するべきと提言し、第7回党大会が「革命世代が台頭する最後の舞台になる」と明言するなど、世代交代について言及した[18]

上記の通り、ラウルは2018年2月24日の任期満了をもって勇退する予定であったが、2017年9月のハリケーン・イルマの被害のために2018年2月24日に任期満了となる人民権力全国会議の選挙実施が遅延することになった。これに伴い、12月21日、人民権力全国会議は任期を2018年4月19日まで延長することを決定した。国家評議会の構成員は人民権力全国会議議員の中から選ばれることになっているため、この決定により、ラウルをはじめとした国家評議会構成員の任期もこの2018年4月19日まで延びることとなった。ラウルはこの決定に際して、改めてこの(延長された)任期満了をもっての国家評議会議長の引退を明言した[19]

2018年4月18日に人民権力全国会議はラウルの後継にミゲル・ディアス=カネル第1副議長を選出し、ラウルは予定通り翌19日に退任した[20][21]。なお、支配政党であるキューバ共産党の第一書記には2021年の任期満了までラウルが在任し、実権を維持していた[22]

第一書記の任期満了を迎えた2021年4月の第8回共産党大会の初日に第一書記の辞任を表明し、党大会最終日で後継にディアス=カネル大統領を選出。兄フィデルから続いたカストロ兄弟によるキューバ革命世代の統治に終止符を打った[23][24]

内政

専門家からはフィデルと比べ政治的に強硬派であるが、経済的には市場経済導入に前向きであると見られており、中国の社会主義市場経済を支持しているとされている[10]

議長就任後の2008年3月には、フィデル政権で制限されていたDVDプレーヤーパソコン炊飯器電子レンジなどの電化製品の購入を認める法案を可決させた[25]。また、同年には国営企業に対して従業員の給与引き上げを指示し[26]携帯電話の使用制限や旅行制限を撤廃した[27]

2011年4月、中国を模倣した300の経済計画を発表した。計画の骨子として州政府の支出削減、外国投資の奨励と農地改革、民間投資の奨励、自身を含めた政治指導部の権限縮小を掲げている。

2014年9月21日、観光業振興の一環として、約9,000軒の国営飲食店の民営化を決定し、サービス向上と食品の品質改善を指示した[28]

憲法の改正を主導し、私有財産を認めるなどの条項を含んだ新憲法は2019年に承認・施行された[29][30]

アメリカとの国交正常化

革命以来、軍内での基盤が堅く、アメリカとの闘争などでは兄よりも強硬派とされている。1962年キューバ危機では最後まで強硬論を兄に進言し続けていた。

しかし、議長就任後の2008年11月に行ったインタビューでは、

「アメリカはキューバにとって最も近い隣人です。私たちは互いを尊重するべきであり、私たちはアメリカの人々に対し何の敵意も持ってはいません。両国の友好関係は互いにとって有益です。我々は全ての問題を解決することは出来ませんが、より多くの問題を解決することが出来るはずです」

と答え、アメリカとの関係改善に含みを持たせた[31]

2013年12月10日、南アフリカ共和国ヨハネスブルグで行われたネルソン・マンデラの追悼式に出席した際、アメリカ大統領バラク・オバマと握手を交わし、「関係改善の兆し」として注目を集めた[32]。また、ラウルとオバマの握手について、フィデルも「友好的ながらも毅然とした態度だった」とラウルを評価している[33]

2015年4月11日、オバマと会談するラウル

2014年12月16日にオバマと電話会談し、翌17日に会見でアメリカと国交正常化交渉に入ることを明らかにした[34]。20日には人民権力全国会議で演説し、アメリカに対してテロ支援国家の指定や経済制裁の解除を求めた他、今後も社会主義体制を維持すると表明した[35]

関係改善に踏み切った背景には、キューバの経済状況の悪化と、盟友だったウゴ・チャベスの死後、ベネズエラがキューバへの石油輸出を減少させていることが挙げられており[36]、チャベスが死去した2013年からローマ教皇フランシスコの仲介で国交正常化に向けた協議を重ねていた[37]

2015年4月11日、パナマで行われた米州首脳会議に参加し、会場でオバマ大統領と59年ぶりの米・キューバ首脳会談を行った[38]。会談の場では経済制裁の解除を求めた他、アメリカからキューバに逃亡した犯罪者の扱いについて協議した。また、キューバの人権状況や報道の自由についても議論すると表明したが、「幻想を抱いてはいけない」として譲歩する気はないと発言している[39]。7月には正式にキューバとアメリカの国交が回復し、相互の大使館が再開された。

2016年3月21日、オバマが現職のアメリカ大統領として88年ぶりにキューバを訪問し、ラウルと首脳会談を行った[40]。会談では両国関係の正常化推進や経済・通信分野での関係を改善することで一致したが、人権問題については「深刻な違い」と主張するオバマに対し、ラウルは「我々は人権を守っている」と反論している[41]

日本との関係

2015年5月2日、岸田文雄外務大臣は日本の外務大臣として初めてキューバを訪問し、ラウルを表敬訪問し、幅広く二国間関係を一層強化していくことで一致[42]。2016年9月22日、安倍晋三首相が日本の首相として初めてキューバを訪問し、首都ハバナでラウルと会談。日本が12億7300万円の無償資金協力で医療機材などを供与する書簡を交わした[43]

退任後

91歳となっていた2023年4月19日に行われた人民権力全国会議に姿を見せ、97.66%の賛成票をもって大統領に再選されたミゲル・ディアス=カネルと固い握手を交わし、継続的に支持することをアピールした[44]。2024年1月3日には、キューバ革命終戦65周年の記念大会で革命未体験者世代に向けて、将来へのメッセージを送っている[45]

家族

1959年1月26日、マサチューセッツ工科大学の学生だったヴィルマ・エスピン英語版と結婚し、一男三女をもうけたが、2007年6月18日に死別している[46]。ヴィルマは生前はキューバ女性連盟英語版の会長を務めていた[47]

長女のマリエラ・カストロ英語版は人民権力全国会議代議員で性マイノリティ英語版に対しての慈善活動を行っている。長男のアレハンドロ・カストロ・エスピン英語版内務省スペイン語版大佐を務めている。

脚注

  1. ^ CIA - The World Factbook - Cuba”. cia.gov. 2010年1月15日閲覧。
  2. ^ José de Córdoba, David Luhnow and Bob Davis (2006年8月2日). “Castro's Illness Opens Window on Cuba Transition”. The Wall Street Journal: pp. 1, 12 
  3. ^ a b Miguel A. Faria Jr. (2001年8月15日). “Who is Raúl Castro? (Part I)”. News Max. http://www.newsmax.com/archives/articles/2001/8/15/224049.shtml 2006年8月5日閲覧。 
  4. ^ Faria, Miguel. “Who Is Raul Castro? (Part II)”. 2001年8月22日閲覧。
  5. ^ Revolutionary Firing Squads” (2008年). 2008年2月20日閲覧。
  6. ^ Rojas, Marta (2006年9月4日). “When Raúl Castro assumed responsibility for the assault on the Moncada Garrison”. オリジナルの2006年8月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060821233305/http://www.granma.cu/ingles/2006/agosto/vier4/33raulmon-i.html 
  7. ^ Faria, Miguel. “Fidel Castro and the 26th of July Movement”. 2004年7月27日閲覧。
  8. ^ https://cuba1952-1959.blogspot.com/2009/12/1958-castro-rebels-take-us-hostages.html
  9. ^ Audio: Cuba Marks 50 Years Since 'Triumphant Revolution' by Jason Beaubien, NPR All Things Considered, 1 January 2009
  10. ^ a b Tim Padgett and Dolly Mascarenas (2006年8月2日). “Why Raul Castro Could End Up a Reformer”. Time. http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1222009,00.html 2006年8月5日閲覧。 
  11. ^ Phillip Hart (2006年7月30日). “From Castro to Castro”. London: Daily Telegraph. http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2006/07/30/wcuba30.xml 2006年8月5日閲覧。 
  12. ^ “Fidel Castro Says Health Stable in Statement Read on State Television”. FoxNews.com. (2006年8月1日). http://www.foxnews.com/story/0,2933,206483,00.html 2006年8月5日閲覧。 
  13. ^ The Fidel Castro mystery – Sentinel & Enterprise” (2008年). 2008年2月20日閲覧。
  14. ^ “Raul Castro elected president of Cuba_English_Xinhua”. News.xinhuanet.com. (2008年2月25日). http://news.xinhuanet.com/english/2008-02/25/content_7662257.htm 2013年1月12日閲覧。 
  15. ^ “Raul Castro 'not imitating Fidel'”. BBC News. (2006年12月21日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/6199369.stm 2008年2月20日閲覧。 
  16. ^ “カストロ元議長 公職から引退” (日本語). NHKニュース. (2011年4月20日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110420/k10015427951000.html 2011年4月20日閲覧。  {{cite news}}: |work=|newspaper=引数が重複しています。 (説明)
  17. ^ “キューバのカストロ議長「5年後に引退」、ナンバー2に若手抜擢” (日本語). ロイター通信. (2013年2月25日). https://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE91O02220130225/ 2014年12月17日閲覧。 
  18. ^ カストロ体制継続 共産党大会閉幕”. 毎日新聞 (2016年4月21日). 2016年5月19日閲覧。
  19. ^ カストロ議長の引退延期、ハリケーンの影響長引く キューバ”. CNN.co.jp (2017年12月22日). 2018年1月11日閲覧。
  20. ^ “キューバ、ディアスカネル氏の新議長選出を正式発表”. AFP. (2018年4月20日). https://www.afpbb.com/articles/-/3171828 2018年4月20日閲覧。 
  21. ^ “Díaz-Canel is named Cuba's new president. Here are the previous leaders since 1959”. マイアミ・ヘラルド. (2018年4月19日). http://www.miamiherald.com/news/nation-world/world/americas/cuba/article209137719.html 2018年4月20日閲覧。 
  22. ^ キューバ、最高指導者ラウル・カストロ議長後継にディアスカネル氏指名”. BBC (2018年4月19日). 2018年4月22日閲覧。
  23. ^ ラウル氏、キューバ共産党トップ退任表明 カストロ時代に幕(2021年4月17日)”. ロイター. 2021年4月18日閲覧。
  24. ^ “キューバ新指導者にディアスカネル氏 カストロ統治に幕”. AFPBB News. フランス通信社. (2021年4月20日). https://www.afpbb.com/articles/-/3342914 2021年4月20日閲覧。 
  25. ^ Neill, Morgan (2008年4月26日). “Raul Castro pushes change for Cubans”. CNN. https://edition.cnn.com/2008/WORLD/americas/04/26/raul.castro/ 2008年4月26日閲覧。 
  26. ^ Frances Robles, "Cubans Who Work More Will Get Higher Salaries", Miami Herald, 12 June 2008.
  27. ^ Marc Frank, "Raúl Castro Overhauls Cuba's Farm Bureaucracy", Reuters News, 1 May 2008.
  28. ^ “経済危機キューバ、改革は民営化 まずい、質悪い、食材横流しの飲食店9千軒”. 産経ニュース (産経新聞). (2014年9月22日). https://web.archive.org/web/20141001010719/http://www.sankei.com/world/news/140922/wor1409220015-n1.html 2015年4月19日閲覧。 
  29. ^ “キューバで憲法改正案が可決 国民投票で賛成多数”. 日本経済新聞. (2019年2月26日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41743430W9A220C1000000/ 2020年7月18日閲覧。 
  30. ^ キューバ新憲法が施行、私有財産の承認が重要な変更点と有識者 - 日本貿易振興機構(2020年4月15日)
  31. ^ “Conversations With Chávez and Castro”. The Nation. (2008年11月25日). http://www.thenation.com/article/conversations-chaacutevez-and-castro?page=0,2 2013年1月12日閲覧。 
  32. ^ “米・キューバ両首脳、異例の握手話題に”. 日本経済新聞. (2013年12月11日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM11005_R11C13A2EB1000/ 2015年4月19日閲覧。 
  33. ^ “カストロ前議長「よくやった」 米大統領と握手の弟たたえる”. 日本経済新聞. (2013年12月20日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2001G_Q3A221C1EB1000/ 2015年4月19日閲覧。 
  34. ^ “米・キューバ国交交渉へ 外交回復なら1961年以来”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞). (2014年12月18日). http://www.asahi.com/articles/ASGDL0CKGGDKUHBI04B.html 2014年12月18日閲覧。 
  35. ^ “「社会主義を続ける」とカストロ議長 キューバ国会で演説”. 産経ニュース (産経新聞). (2014年12月21日). https://web.archive.org/web/20150419084240/http://www.sankei.com/world/news/141221/wor1412210012-n1.html 2015年4月19日閲覧。 
  36. ^ “キューバが米接近の理由…経済疲弊、“盟友”ベネズエラの「石油」出し惜しみ”. 産経ニュース (産経新聞). (2015年4月12日). https://www.sankei.com/article/20150412-RPB5CFSQWROHRENGGVXCR6UWZ4/ 2015年4月19日閲覧。 
  37. ^ “バチカンが大きく貢献 中南米出身の法王が橋渡し”. 産経ニュース (産経新聞). (2014年12月28日). https://web.archive.org/web/20150419084530/http://www.sankei.com/world/news/141218/wor1412180041-n1.html 2015年4月19日閲覧。 
  38. ^ “米・キューバ首脳が歴史的な首脳会談、冗談も飛び出す”. AFP. (2015年4月12日). https://www.afpbb.com/articles/-/3045164 2015年4月12日閲覧。 
  39. ^ “59年ぶり首脳会談、オバマ氏「キューバは脅威ではない」 カストロ氏「幻想抱くな”. 産経ニュース (産経新聞). (2015年4月12日). https://www.sankei.com/article/20150412-JGZZIP4YVVLEBASZ5UFLWYM2HU/ 2015年4月19日閲覧。 
  40. ^ 米キューバ首脳:会談2時間半 オバマ氏「新たな日来た」”. 毎日新聞 (2016年3月22日). 2016年5月19日閲覧。
  41. ^ 米キューバ首脳会談:「新たな日」 関係正常化を推進”. 毎日新聞 (2016年3月22日). 2016年5月19日閲覧。
  42. ^ 岸田外務大臣によるラウル・カストロ国家評議会議長及びフィデル・カストロ前国家評議会議長表敬
  43. ^ キューバへ投資拡大 首相とカストロ議長会談
  44. ^ “キューバ、ディアスカネル大統領再選 国会が新指導部選出”. ロイター. (2023年4月20日). https://jp.reuters.com/article/cuba-politics-national-assembly-idJPKBN2WH09N 2023年4月20日閲覧。 
  45. ^ Raul Castro Says No Generational Contradictions in Cuba”. cuba times. 2024年7月26日閲覧。
  46. ^ “TIME magazine Milestones”. Time Magazine. (1959年2月9日). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,892216,00.html 2006年11月14日閲覧。 
  47. ^ “Trying to make the sums add up”. The Economist. (2010年11月11日). http://www.economist.com/node/17463421?story_id=17463421 

外部リンク

公職
先代
フィデル・カストロ
キューバ共和国国家評議会議長
2006年 - 2008年は代行
第2代:2008年 - 2018年
次代
ミゲル・ディアス=カネル
先代
フィデル・カストロ
キューバ共和国閣僚評議会議長
2006年 - 2008年は代行
2008年 - 2018年
次代
ミゲル・ディアス=カネル
先代
設置
キューバ共和国閣僚評議会第一副議長
1976年 – 2008年
次代
ホセ・ラモン・マチャド・ベントゥーラ英語版
先代
設置
キューバ共和国革命軍事相(国防相)英語版
初代:1959年 - 2008年
次代
フリオ・カサス・レゲイロ英語版
党職
先代
フィデル・カストロ
キューバ共産党中央委員会第一書記
2006年 - 2011年は代行
2011年 - 2021年
次代
ミゲル・ディアス=カネル
先代
設置
キューバ共産党中央委員会第二書記
初代:1965年 - 2011年
次代
ホセ・ラモン・マチャド・ベントゥーラ
軍職
先代
フィデル・カストロ
キューバ革命軍最高司令官
2006年 - 2008年は代行
2008年 - 2021年
次代
ミゲル・ディアス=カネル
外交職
先代
フィデル・カストロ
非同盟諸国首脳会議事務総長
2008年 - 2009年
次代
ホスニー・ムバーラク

「ラウル・カストロ」の例文・使い方・用例・文例

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「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
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