ライバル・武蔵丸との関係とは? わかりやすく解説

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ライバル・武蔵丸との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:00 UTC 版)

貴ノ浪貞博」の記事における「ライバル・武蔵丸との関係」の解説

武蔵丸光洋とは幕内通算58対戦し貴ノ浪2137敗(他に十両1996年11月場所の優勝決定戦でも戦い、共に貴ノ浪敗れている)と負け越しているものの、互いに良きライバル認めていた。この両者対戦回数58回は、2016年平成28年3月場所琴奨菊和弘 - 稀勢の里寛59回目対戦合計66回)に塗り替えられるまで、当時大相撲史上1位の記録だった。その取り口ライバル関係似ていたことから、かつての名力士だった栃赤城雅男巨砲丈士にもなぞらえられていた。また、武蔵丸とは生年が同じ1971年昭和46年)で、新入幕新大関二人は全く同時に昇進果たしていた。対照的に曙太郎とは非常に分が悪く大関取りの場所で初勝利したもののそれ以降はほとんど歯が立たず通算5勝34敗とかなり一方的なものとなった1999年平成11年3月場所は、場所終盤11日目から3横綱貴乃花若乃花、曙)と大関千代大海龍二休場する異常事態(3横綱全員休場するのは1950年1月場所以来49年ぶり)により、上位陣は貴ノ浪武蔵丸の2大関だけとなった。しかし、両者その後連勝続け14日終了時点12勝2敗の成績挙げ千秋楽結びの一番大関同士相星決戦となった結果貴ノ浪武蔵丸寄り切り敗れ惜しくも12勝3敗の優勝次点だった。 貴ノ浪前頭筆頭まで番付落とした2002年平成14年11月場所で、横綱昇進していた武蔵丸平幕力士として勝利大関昇進以前にも取っていなかった初の金星獲得した(その翌日から武蔵丸左手首の怪我悪化したため休場となる)。また同場所で貴ノ浪10勝5敗の好成績をおさめ、大関昇進直前1994年1月所以来、8年10ヶ月ぶり3回目敢闘賞受賞した2003年7月場所では、前頭3枚目で再び武蔵丸勝利して2つ目の金星獲得したが、この場所が武蔵丸との現役最後対戦となった貴ノ浪急死した翌日2015年6月21日都内取材応じた武蔵川親方武蔵丸)は「気持ち整理つかない」と驚き隠せなかった。2003年11月場所引退した際、貴ノ浪当時さほど自身親しくないにも関わらず支度部屋貴ノ浪が「寂しい…」と人目憚らず泣いた聞いた時、武蔵丸は「なんて心の広いなんだと思った」と懐かしんでいる。それから3場所後の2004年5月場所まで現役続けた貴ノ浪に対して怪我しないよう思いながら見ていた」という。貴ノ浪引退後戦友仲間として打ち解け合い武蔵丸は「相撲の話はしないが、酒や食べ物の話で冗談ばかり言っていた。友達一人、居なくなってしまった」と、早過ぎる別れ惜しんでいた。

※この「ライバル・武蔵丸との関係」の解説は、「貴ノ浪貞博」の解説の一部です。
「ライバル・武蔵丸との関係」を含む「貴ノ浪貞博」の記事については、「貴ノ浪貞博」の概要を参照ください。

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