ヤマトタケル説話の構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:35 UTC 版)
「ヤマトタケル」の記事における「ヤマトタケル説話の構成」の解説
ヤマトタケルの物語は、吉井巌が指摘したように、主人公の名前が各場面で変わるのが特徴である。また、説話ごとに相手役の女性も異なる。加えて系図も非常に長大で、その人物や説話の形成には様々な氏族や時代の要請が関連したとわかる。 小碓命の物語(近江・美濃を中心とする穀霊伝説) 妃に野洲の布多遅比売がおり、その子は稲依別王で建部氏や犬上氏の祖であること、近江の一の宮が建部神宮で祭神がヤマトタケルであることなどから、近江=滋賀県がヤマトタケルと関連が深いことがわかる。兄大碓命の封地が美濃であることも考慮すると、近江の伝承は小碓命のものと思われる。碓や稲依別の名からは、穀霊であることが推察できるが、『山城国風土記』などに、碓から生み出される餅が白鳥に変身する話があり、白鳥との関連もみられる。なお、『武智麻呂伝』にはヤマトタケルが伊吹山で、『平家物語』剣の巻には近江で白鳥となった説話が伝わり、白鳥になる話の根幹が近江にあった可能性は少なくない。 倭姫・倭ヲグナの物語(大和の幼童神伝説) 日本には、桃太郎や一寸法師など童形の英雄が悪を征伐する説話が多いが、このくだりもそれらに類似するとされる。折口信夫はそれらの説話の分析により、幼童神的モデルを育てる「小母(おば)」の存在を指摘しており、この場合倭姫がその小母に該当すると見られる。また、少年・ヤマトタケルの女装に関し、様々な文化圏のシャーマニズムに散見される異性装に相通じると指摘される。 出雲タケルの物語 出雲の神門臣の勢力争いの物語の挿入→原型は崇神紀の出雲振根説話 タケル大王・橘姫の物語(関東地方の英雄伝説か?) 『常陸国風土記』等には倭武天皇-橘皇后、大橘姫などと表記され、各種の地名起源説話が伝わる。本来は山を象徴する武王と海を表す橘后の神話と推定される。現在でも千葉県などに地名説話が多く残るため、関東に根を下ろした伝承だったと考えられる。 美夜受媛・草薙剣の物語(熱田神宮を巡る伝説) 吉井巌は、皇位の象徴である「三種の神器」のひとつである草薙剣が、なぜ尾張の熱田神宮にあるか説明する物語とする。詳細は草薙剣の項を参照されたい。 斎王倭姫の物語(伊勢神宮を巡る伝説) 死に際の彷徨の物語が、伊勢神宮の神戸の見られる地域で語られ、かつ伊勢斎宮の制度を確立した天武天皇の壬申の乱の際の進軍ルートに重なるため、伊勢との関連が考えられるが、横田健一は『皇太神宮儀式帳』や『倭姫命世記』にヤマトタケルの物語がないことを指摘する。草薙剣に関しヤマトヲグナ説話の登場人物のヤマトヒメと斎王倭姫命を結びつけたため、伊勢地方の説話がヤマトタケルに仮託された可能性も考えられる。 大御葬の物語(葬礼を司った土師氏の伝承) 吉井巌は、聖徳太子の弟で、実在する初の皇族将軍である来目皇子が出征先の九州で病死したことがモデルになったとし、この葬儀を主導した土師氏の葬送儀礼が物語に取り入れられたとする。
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