ヤマトタケル伝説との関係とは? わかりやすく解説

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ヤマトタケル伝説との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 08:22 UTC 版)

碓氷峠 (神奈川県)」の記事における「ヤマトタケル伝説との関係」の解説

上述通り、この峠は『古事記』『日本書紀』登場する英雄ヤマトタケル伝説の地とされている。東征途中で荒れ狂った海の神鎮めるために入水した弟橘媛おとたちばなひめ)を偲んで、「吾妻はや」(あづまはや、「吾(我)が妻や」という意味)と3回嘆いたという伝説がそれである。 これは現地当初からあった伝説ではなく近代の歴史学者久米邦武明治時代唱えた説によって結びつけられたものである。この説は、この伝説の地が『古事記』では「足柄坂」、『日本書紀』では「碓日嶺」と場所が異なることについての考察から生じたもので、著書の中で以下のように考察行っている。 まず久米は「吾妻はや」の語が弟橘媛をしのぶ言葉であることから、「伝説地は媛が入水した走水の海が見える場所でなければならない」とするとともに『日本書紀』伝説地到るまでの道順合理的でないとして『日本書紀』記され道順から言われて来た信濃国上野国国境長野県群馬県県境)の碓氷峠とする説を退ける。 そして場所は『古事記』が記す「足柄坂」が正しく『日本書紀』が記す「碓日嶺」はその別名であると考え地質学者委託する形で調査した結果、当峠の存在知り伝説地としたのである。 しかしこの説は、吉田東伍の『大日本地名辞書』や地誌引かれたりするなど、当時一定の支持得たものの、その後は全く顧みられておらず、研究史中に埋もれてしまっている。

※この「ヤマトタケル伝説との関係」の解説は、「碓氷峠 (神奈川県)」の解説の一部です。
「ヤマトタケル伝説との関係」を含む「碓氷峠 (神奈川県)」の記事については、「碓氷峠 (神奈川県)」の概要を参照ください。

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