マンガス・コロラダスの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 07:04 UTC 版)
「アパッチ戦争」の記事における「マンガス・コロラダスの死」の解説
メキシコ人から「マンガス・コロラダス(英語版)(赤い袖)」と呼ばれたダソダ・ハエは、ミンブレス・アパッチの温厚な首長だった。1860年から61年にかけ、彼らの領土内のニューメキシコの「ピノス・アルトス」という金鉱町に白人の採掘者が押し寄せてくると、マンガス・コロラダスは不安を募らせ、彼らに「もっとよそに金が出る場所がある」と関心を他所に向けようと図った。これはアパッチの土地に勝手に入り込んだこの白人たちの怒りを買うこととなり、マンガス・コロラダスは縛り上げられ、気絶するまで鞭で打たれた。似たような事件が続き、和平条約を破るこれらの行為は、アパッチ族の報復につながった。 1862年春、マンガス・コロラダスはコーチーズのもとを訪ね、白人鉱夫の追い出しのための助力を願い出た。コーチーズは、しばらく復讐を見合わせるよう言って、その前にやるべきことがあるのだと話した。そのころ、ちょうど米軍指導層はニューメキシコ準州に対する南軍の圧力に対して軍事行動を行うことに決め、ジェイムズ・ヘンリー・カールトン大佐の指揮するカリフォルニア人志願兵隊を派遣していた。このカリフォルニア部隊は古いバターフィールド・オーバーランドの道を東に進み、アパッチ族の領土を侵犯したのである。 コーチーズはこれを知り、マンガス・コロラダスとジェロニモの協力を得て、700人という史上最大のアパッチ族戦士団を結成した。アパッチの戦士は泉を見下ろす崖の上で待ち伏せし、泉を周りに岩を組んで銃眼のついた防壁を築くという、アパッチ族で史上初めての戦法を採った。 7月14日、米軍がアパッチ峠の泉までやってくると、アパッチ族との交戦となった。この戦闘で米軍は幌馬車二台に積んだ、新鋭の曲射砲を使い、アパッチ族はこの4.5キロ榴散弾という、見たことのない白人の武器に蹴散らされた。マンガス・コロラダスは胸を撃たれて負傷した。 1863年1月、マンガス・コロラダスは白人と和睦を図るために危険を冒し、休戦の白旗を揚げて金鉱町ピノス・アルトスを訪ねた。ちょうどそこには、カリフォルニア民兵隊の士官で後にルイジアナ州からアメリカ合衆国上院議員になった名誉昇進職ジョーゼフ・ロッドマン・ウェスト准将がいた。ウェストは問答無用でマンガス・コロラダスを捕縛させ、護衛兵にこう言った。 「こいつを生かすにしろ殺すにしろ明日の朝のことにしたい。わかったかね? わしはこいつを殺したいんだ。」 その晩、たまたま米軍のキャンプの中を通りかかった鉱夫は、次のように証言している。 「九時ごろ、私は兵士たちがマンガスに何かしているのを見た。兵隊たちは銃剣を火で焼いて、マンガスの脚に押し付けているのだった。マンガスは、『俺を子供扱いするな。そんなふうにいじめるのはよせ』と言って抗議していた。そのあと、護衛兵が銃を4発撃ちこんで彼を殺した。」 護衛兵たちはマンガスの頭の皮を剥ぎ、首を斬り落として、頭蓋骨をスミソニアン博物館に送った。和平の使者であるコロラダスを虐殺したことは、アパッチ族と侵略者の争いに油を注いだだけだった。アパッチ峠の戦いに先駆けた1862年5月、コーチーズはドラグーン・スプリングスの戦いで南軍に対して小さな勝利を挙げていた。 山岳ゲリラとも言うべきアパッチ族の戦法は、米軍を翻弄した。辺境でのアパッチ族による1、2人の白人入植者の死は、情報操作されて数十人という途方もない数字に膨れ上がって東部の白人たちを震え上がらせた。コーチーズは侵略者から彼らの領土を守ろうと努力したが、押し寄せる白人の群れはとどまることを知らなかった。コーチーズは仲間のアパッチにこう言っている。「白人を10人殺せば、代わりに100人やってくる。」 このなかで、コーチーズと和平を結んだトーマス・ジェフォーズという合衆国郵便配達人の指導監察官がいた。1871年までに14人の配達人がアパッチの領土を横切ってこれに殺されたために、彼は単身コーチーズに直談判を行った。ジェフォーズはバスコムやウェストのようにインディアンを子供扱いせず、アパッチの言葉でコーチーズに和平の申し入れを行い、武器を預けてコーチーズを感嘆させた。ジェフォーズはコーチーズについてこう語っている。 「彼は生まれながらの極めて優秀な男だと思う。鷲のような目を持ち、申し分のない男らしい身体つきをしていた。私たちは互いを尊敬した。彼は嘘をつかない男だった。」 アパッチ族に対して偏見の目をもたなかったジェフォーズはコーチーズと終生の友情を結び、郵便通行をアパッチ族から保証された。
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