アパッチ峠の戦いとは? わかりやすく解説

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アパッチ峠の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 07:42 UTC 版)

太平洋岸戦線 (南北戦争)」の記事における「アパッチ峠の戦い」の解説

アパッチ峠の戦いはアリゾナ州アパッチ峠で、アパッチ族戦士ニューメキシコ向かっていたカリフォルニア部隊との間で戦われた。 ジェイムズ・ヘンリー・カールトン大佐カリフォルニア部隊ニューメキシコエドワード・キャンビー大佐北軍支援するために向かっていた。7月15日前衛隊がツーソンの東にあるアパッチ峠でアパッチ族のコーチスとマンガス・コロラダスに率いられ500名の戦士攻撃された。山岳榴弾砲据えられるまでに峠道激し小競り合い続いた。これはアメリカ陸軍インディアンに対して大砲用いたことでは初めての戦闘になった榴弾砲インディアンの攻撃破壊しアパッチ族戦士退却した7月4日カリフォルニア部隊最初部隊リオグランデ川沿いにあるニューメキシコのメシラまで到着していた。カリフォルニア部隊西部から接近しつつあるという報に、南軍最後残存部隊もニューメキシコから撤退した。 この戦闘後カールトンはそこに基地建設して開拓者達が通る時にインディアンから襲われないよう守る必要がある決めた。第5カリフォルニア連隊兵士が砦を建設し始め連隊大佐ジョージ・ワシントン・ボウイに因んでボウイ砦と名付けたニューメキシコ到着すると、カールトンニューメキシコ方面軍指揮官任され南西部でのインディアン対す作戦続けた。翌1863年北軍ニューメキシコ準州から現在の南北にわたる境界アリゾナ準州分離独立させ、プレスコット暫定州都をおいて統治確立した

※この「アパッチ峠の戦い」の解説は、「太平洋岸戦線 (南北戦争)」の解説の一部です。
「アパッチ峠の戦い」を含む「太平洋岸戦線 (南北戦争)」の記事については、「太平洋岸戦線 (南北戦争)」の概要を参照ください。

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