アパッチ峠の戦い
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「太平洋岸戦線 (南北戦争)」の記事における「アパッチ峠の戦い」の解説
アパッチ峠の戦いはアリゾナ州アパッチ峠で、アパッチ族戦士とニューメキシコへ向かっていたカリフォルニア部隊との間で戦われた。 ジェイムズ・ヘンリー・カールトン大佐のカリフォルニア部隊はニューメキシコでエドワード・キャンビー大佐の北軍を支援するために向かっていた。7月15日、前衛隊がツーソンの東にあるアパッチ峠でアパッチ族のコーチスとマンガス・コロラダスに率いられた500名の戦士に攻撃された。山岳用榴弾砲が据えられるまでに峠道で激しい小競り合いが続いた。これはアメリカ陸軍がインディアンに対して大砲を用いたことでは初めての戦闘になった。榴弾砲はインディアンの攻撃を破壊しアパッチ族戦士は退却した。7月4日にカリフォルニア部隊の最初の部隊がリオグランデ川沿いにあるニューメキシコのメシラまで到着していた。カリフォルニア部隊が西部から接近しつつあるという報に、南軍の最後の残存部隊もニューメキシコから撤退した。 この戦闘後、カールトンはそこに基地を建設して開拓者達が通る時にインディアンから襲われないよう守る必要があると決めた。第5カリフォルニア連隊の兵士が砦を建設し始め、連隊の大佐ジョージ・ワシントン・ボウイに因んでボウイ砦と名付けた。ニューメキシコに到着すると、カールトンはニューメキシコ方面軍指揮官を任され、南西部でのインディアンに対する作戦を続けた。翌1863年、北軍はニューメキシコ準州から現在の南北にわたる境界でアリゾナ準州を分離独立させ、プレスコットに暫定の州都をおいて統治を確立した。
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