ボディビルダー時代とは? わかりやすく解説

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ボディビルダー時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 13:46 UTC 版)

鈴木雅」の記事における「ボディビルダー時代」の解説

デビュー戦2004年東京オープン選手権75超級エントリーし78から79出たが、仕上がりがかなり甘く結果同点2位であった予選審査段階では1ポイント勝っていたものの、決勝審査逆に1ポイント少なく逆転され格好となった負けた理由については後に「ドーピングチェックのための採尿急かされ最終調整我慢していた飲んでしまい、一気に体がむくんだのです。あっという間に体はボテッとして、腹筋消えてしまっていました」と振り返っている。その年は、東京オープン選手権1ヶ月後に開催され東京クラス別選にも出場して75超級3位終わった東京選手権にも出よう思っていたが、マシン修理中に不注意から大きな切り傷つくってしまい、エントリー諦めた。この東京選手権史上最年少優勝果たした須山翔太郎がすごすぎたので「出なくてよかったです」と振り返っている。ほろ苦い結果終わったデビュー戦について後に鈴木本人は「これでよかった思います。なぜなら2位だったことが相当悔しかったから。弱点もたくさん見つかりましたし、何より自分甘さ痛感しました」「もしデビュー戦優勝していたら、ですか?きっとボディビルのことを舐めていたと思います。そして、いつの間にかボディビルシーンから姿を消していた…なんてこともあるのかもしれません」と感想述べている。 2005年開幕戦東京クラス別選であり、このときも大会1ヶ月から2ヶ月前にハムストリング切ってしまい、この状態で減量れば確実に小さくなる思い仕上がり厳しさよりも筋量維持優先した。そのためこの大会75超級で5位に終わった当日体重80から81であり、本人は「当然ながら甘かったです」と反省言葉述べている。なお東クラス別選前後付き合っていた女性フラれており、9月東京選手権向けた2ヶ月間はやけくそに練習してカロリー消費する状況であった。普通のトレーニング加えて起床後に40分の有酸素運動朝食食べてトレーニング昼休み20分の有酸素運動仕事終えると勤務先ウエスト東京のある中野から自宅のある新宿までを徒歩往復などと、ひたすら動いてカロリー消費した東京選手権迎え控え室では顔がパンパンであることをほかの選手指摘され一見絞れていないように見えたが、見る人が見れば優勝争いできる仕上がりであり、結果優勝。この大会における自身仕上がりについて鈴木は「ポージング練習もあまりしていなかったですし、ボディビルまだまだわかってませんでした」「最終調整に関しても、手探り状態。も塩も抜きすぎてしまい、筋肉が全く張らなかったですね。(中略動いて痩せようとしていましたから、運動量多さ疲弊した状態だったのです」と後に総括している。 人生初のボディビル優勝を手にした直後日本選手権の話が鈴木元に舞い込んだこの年東京選手権例年より開催遅かったため、既に日本選手権エントリー締め切られ後であったが、東京ボディビル連盟推薦という形で鈴木特例急きょエントリー認められた。当初鈴木エントリー迷ったが、ある人から「東京選手権優勝した人は、日本選手権決勝に残るか残らないかの当落線上ぐらいのレベルだから、(日本選手権に)出なきゃいけないんだよ」と言われたこともあって、そういうものなのかと思いエントリーすることにした。「東京選手権優勝した人は…」という話がプレッシャーになる中での出場であったが、日本選手権結果12入賞2005年の日本選手権ではサイズ不足を痛感しその後5年間かけて体を大きくし、日本選手権優勝するという5ヶ年計画立てた2006年73であった2005年により8増の81出場したが、結果は伴わなかった。そしてその後2007年の8位、2008年の7位と、徐々に順位上げたライバルであり同世代ボディビルダーである須山翔太郎2007年から日本選手権エントリーするようになったのも大きなモチベーションになった2009年の日本選手権絞り上手くいっていたため、それ以前までセカンドコールどころかサードコールでもなかなか呼んでもらえず後ろ待機してばかりであったのが、この年のこの大会で初めてファーストコールで呼んでもらうことができた。最終順位は4位と表彰台まであと一歩であった。そして5ヶ年計画最終年にあたる2010年日本選手権初優勝本人5ヶ年計画一生懸命やるだけのつもりであったのでまさか優勝できるとは思っていなかったと驚いている。減量上手くいっていたことが勝因であり、この年トレーニングも週3回はダブルスプリットという増やしようであった。 しかしこれ以降これまでの無理が祟ってケガ戦いとなり、ウォームアップ丁寧に行わないと体中に神経痛のような痛みが走るほどになった日本選手権初優勝までの間に、国際大会2007年2008年東アジア選手権2008年のアジアゲームズ、2009年ワールドゲームズ出場した

※この「ボディビルダー時代」の解説は、「鈴木雅」の解説の一部です。
「ボディビルダー時代」を含む「鈴木雅」の記事については、「鈴木雅」の概要を参照ください。

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