ボディビル経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/04/14 23:20 UTC 版)
「マイク・メンツァー」の記事における「ボディビル経歴」の解説
メンツァーは1969年、18歳の頃から地方のコンテストに出場し始め、1971年にはAAU開催のミスター・アメリカにおいて10位という散々な結果に終わるが(優勝者はケイシー・ビエター)、ビエターのトレーナーであったアーサー・ジョーンズとの出会いが彼にとっての転機となる(その後ジョーンズと連絡を交わし、彼自身のトレーニング・システムにジョーンズの理論を取り込んでいった)。 数年の期間を経て、コンテスト復帰となった1975年のミスター・アメリカにおいて、ロビー・ロビンソン、ロジャー・カラードに次いで3位に入賞。1976年には初めての優勝を経験。1977年にはノース・アメリカ・チャンピオンシップス(カナダ・ヴァンクーバー)、ブリティッシュ・コロンビアで優勝、ミスター・ユニヴァース(フランス)ではカル・シュカラックに次ぐ2位。 1978年のミスター・ユニヴァース(メキシコ・アカプルコ)においてパーフェクト・スコアで優勝を飾り、IFBBプロに転向。1979年のミスター・オリンピアでは重量級で1位になるも、オーバーオール対決でフランク・ゼーンに破れる(これによりゼーンは同タイトル3連覇となった)。そして多くのボディビル・ファンが優勝はメンツァーだと信じて疑わなかった翌1980年の同大会では、アーノルド・シュワルツェネッガー、クリス・ディッカーソン、フランク・ゼーンに次いで、ボイヤ・コーとタイ・スコアの4位に終わり(本大会における、4年のブランクを置いての復帰で甘い仕上がりだった点や審査員がアーノルドと交流のある人物になるなどアーノルドの優勝には今尚疑問の声も多い)、大会後メンツァーは(結果に納得出来ず)現役を引退した。一説では控え室でアーノルドとなにかしらのトラブルがあったとされ、生前はアーノルドとは犬猿の仲であったという[要出典]。
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