ホーム延長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 08:59 UTC 版)
JR東日本は1991年(平成3年)3月の東北新幹線東京駅乗り入れを見据えた輸送量増強計画により、16両編成の200系車両(H編成)の導入を進めていた。しかし12両対応のホーム有効長(310メートル)で開業した当駅は16両編成に対応できないため、JR東日本東北工事事務所は1989年(平成元年)、水沢市に文書でホーム延長への協力を要請した。 当駅は、駅整備計画時点で16両編成と2面4線化に対応できる分の用地を確保していた。JR側からホーム延長に関する要請があった当初、工事費の地元負担が懸念されたが、用地は市が無償提供し工事費はJR側が全額負担することになり、駅舎南側(東京側)に100メートル分の延長ホーム建設が始まった。 工事が進められている最中の1990年(平成2年)6月23日、2階建て車両(249形)1両を組み込んだ200系H編成(13両編成)が登場し、車両1両分が既存ホーム(全覆い上屋部分)からはみ出した状態で停車する措置が取られた。はみ出した分の車両の乗降ができないため、当駅では当該車両の指定席は発売しなかった。12月16日からは、延長部分の一部が利用できるようになり、13両編成すべてのドアから乗降が可能になった。 1991年(平成3年)3月8日に延長ホームが完成した。しかし、寒冷地には不向きな屋根のない“青空ホーム”だった。延長部分の屋根構造に関しては、延長ホームの工事着手前から議論されていた。地元自治体は既設部分と同様、寒冷地に適した線路全体を覆う上屋をJRが全額負担する形で設置するよう求めたのに対し、JR側は地元負担を主張した。協議の末、3億円以上かかる全覆い式ではなく、ホーム部分だけに屋根を掛ける半覆い式(約8000万円)とし、費用もJRと地元で折半する形で合意した。屋根は1992年(平成4年)2月に完成し、現在の駅の姿に至っている。一連のホーム延長を巡って水沢市は、水沢江刺駅と同じ請願駅として同時開業していた新花巻駅の地元、花巻市とも同一歩調を取りながら対応した。 延長ホームにより、フル規格車両16両に対応。ミニ規格(秋田新幹線車両)併合編成の場合は17両に対応する。上り列車のうち、12両以下の編成については、全覆式の駅舎内に車両が止まるよう、停止位置目標が設置されている。
※この「ホーム延長」の解説は、「水沢江刺駅」の解説の一部です。
「ホーム延長」を含む「水沢江刺駅」の記事については、「水沢江刺駅」の概要を参照ください。
- ホーム延長のページへのリンク