プレーオフ制度導入の背景とは? わかりやすく解説

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プレーオフ制度導入の背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:18 UTC 版)

パシフィック・リーグ」の記事における「プレーオフ制度導入の背景」の解説

プレーオフ制度 (日本プロ野球)参照の事。 1952年 プロ野球場合は、サッカーなど他の球技のような2部リーグ存在しないので、優勝争い絞られる後半戦は、優勝争いに関係のない消化試合観客動員数大幅に減ってしまい、試合の質も落としてしまうことが課題となった。そこで1952年シーズンに、7チーム18総当り108試合予選リーグ行った後で上位4チームが4回総当り12試合決勝リーグ行って優勝決め方式取り入れた。 しかし、上位4チーム成績予選決勝合わせた120試合通算成績で争うものだったために予選落ち下位3チームとの比較出来ず、また予選落ち球団から予選リーグ終了後試合がないことで「置き去りにされた感じがした」などの批判出たため、1年取りやめとなってしまった。 1973年 - 1982年 1973年には2シーズン前後期)制を採用年間130試合当時)のペナントレース4-6月前期ステージ7-9月後期ステージそれぞれ65試合ずつに分けることにして、前期後期各ステージ優勝チームによる5戦3勝制の決勝戦プレーオフ)で優勝決め方式取り入れたそれぞれのステージごとの優勝争い、そしてプレーオフ1年3つのクライマックス山場)を設けて観客動員確保努めようという考えである。 導入当初概ね好評観客動員比較的よく入ったが、日程面での課題もあった(前期終了しないうちに後期始まってしまったため、後期終了後前期の未消化試合をこなすことがしばしば見られた)。 1973年度のペナントレースは、雨天中止になった場合予備日程を確保するという名目で、前期終了から後期開幕まで2週間ものインターバル取ったことがあった。しかし日程余りにも空きすぎるとして翌1974年からインターバルなくした連続開催形式での日程変更している。また従来半分試合数で優勝決まってしまうため、結果として消化試合増加する(更に極端な話、前期優勝したチーム後期全ての試合消化試合出来てしまう)という問題もあった。 1980年代に入ると極端に観客動員減少してしまったため2シーズン制を行う意義薄れたとして1982年度大会最後にそれを打ち切った。 なお、前後期制については1962年オフにも「営業的にプラス見込める」としてリーグ理事会導入検討したことがあったが、日程作成の困難を理由見送りとなった1983年 - 1985年 1983年から2シーズン制代えて変則1シーズン制導入することとなった。これはいわば2シーズン制通常の1シーズン制(同勝率場合にのみプレーオフを行う)の中間位置する折衷案として企画されたもので、130試合終了時に1位と2位ゲーム差が5ゲーム以内である場合、5戦3勝制を原則としたプレーオフを行うというものだった。但し勝率計算プレーオフ含めた成績はじき出すため、1位のチームが1勝した後、2位チーム残り4試合全勝しても勝率が1位のチーム届かない場合その時点で1位チーム優勝となるといった複雑なルールがあった。 しかし、実際に優勝したチーム83年85年西武84年阪急)が2位以下に大差付けて圧倒的な優勝決めたことからプレーオフ実施には至らず、この制度1度実施されぬまま廃止となり、「幻のプレーオフ」といわれた。 2004年 - 2006年 その後セ・リーグ同様に通常の1シーズン制戻して開催することとなったが、シーズンによっては独走で1位チーム優勝することもあり、前述のように試合の質を落とす懸念から2004年シーズン上位3チームによるトーナメント方式プレーオフ制度導入された。このときは、第1ステージ勝ち上がりチーム日本シリーズ出場した場合、そのチームリーグ優勝チームという扱いであった。 しかしこの制度に関しても、1位通過チーム対す第2ステージアドバンテージ2005年度までは1位チームと第1ステージ勝ち上がりチームレギュラーシーズンゲーム差が5ゲーム以上付いていた場合、1位チームに1勝分のアドバンテージ与えられる)の扱いや、2005年に「勝ってしまうと3位チームプレーオフ出場できないという事態が発生した詳細プレーオフ制度内の脚注参照)ことなどから、2006年度は以下のようにルール改正した。 1位通過チームゲーム差に関係なく、第2ステージアドバンテージ1勝分を与える。 1位通過チーム複数同率発生した場合でも第1ステージを行う。その場合、同率1位チーム当該チーム間のその年度の対戦成績勝ち越しチーム同数前年度順位参考)を1位と見なし2位扱いチーム3位チームとで第1ステージを行うこととするまた、第2ステージ第3・4戦は、第1ステージ勝ち上がりチームのホームスタジアムを使用して行うことにする。 2007年 - 現在 クライマックスシリーズ参照

※この「プレーオフ制度導入の背景」の解説は、「パシフィック・リーグ」の解説の一部です。
「プレーオフ制度導入の背景」を含む「パシフィック・リーグ」の記事については、「パシフィック・リーグ」の概要を参照ください。

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