フランス本土進攻とは? わかりやすく解説

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フランス本土進攻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/23 20:29 UTC 版)

第五次イタリア戦争」の記事における「フランス本土進攻」の解説

1543年12月31日ヘンリーカールさらなる条約署名1544年6月20日までにフランスへ親征することと、兵力両国それぞれ35千以上の歩兵、7千以上の騎兵供出することを約束した対抗してフランソワも7軍勢集めた。しかし、ヘンリーにもカールにもすぐに戦役はじめられない事情があった。ヘンリースコットランドとの戦争最中で、カールドイツ諸侯との争い没頭していた。5月15日初代サマセット公爵エドワード・シーモアスコットランド侵攻進展によりスコットランドはもはや脅威ではなくなったことをヘンリー8世報告した報告受けてヘンリー8世腹心皇帝制止振り切って独自のフランス戦役の準備はじめた一方カール第四回シュパイアー帝国議会諸侯との協議成立させ、ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒブランデンブルク選帝侯ヨアヒム2世フランス侵攻参加した1544年5月にはフェッランテ1世・ゴンザーガ英語版率いる軍がルクセンブルクの北に、カール自ら率いる軍がプファルツ選帝侯領配置されフランス侵攻準備整った。その総勢は4万2千で、さらに4千人イングランド軍と合流した5月25日、フェッランテ1世ルクセンブルク占領続いてコメルシーリニーへ軍をすすめた。フェッランテは同時に声明発し皇帝侵攻目的を「トルコ人同盟した暴君打倒」とした。7月8日、フェッランテはサン=ディジエ包囲英語版)した。カール率い親征軍もすぐに包囲参加したヘンリー8世第3ノーフォーク公爵トマス・ハワード初代サフォーク公爵チャールズ・ブランドン司令官任命して、4軍勢カレー派遣したヘンリー皇帝戦役目的ヘンリー親征是非について結論をだせていないのを尻目に、この大軍緩慢に、しかも無目的にフランス領土へと前進した最終的にヘンリー下した決定は軍を二手分けることだった。ノーフォーク公にはアルドレス(英語版)またはモントルイユ包囲する命令下った。彼は後者選んだが、補給不足や指揮乱れなどで失敗したサフォーク公にはブローニュ=シュル=メール包囲命令届き7月14日にはヘンリー8世カレー渡りサフォーク公加勢した。ブローニュ=シュル=メール包囲戦英語版)はそのまま7月19日始まった皇帝は大反対し、パリ攻撃すべきと主張した聞き入れられなかった。 カール自身いまだにサン=ディジエ足止め食らっていた。ジロラモ・マリーニ(イタリア語版)に要塞化され、サンセールルイ4世・ド・ビュエイユ(英語版)が守備に就いていた市は頑強に持ちこたえていた。7月24日カールフランス軍駐留しているヴィトリ=ル=フランソワ英語版)を占領したフランス軍はたびたびそこから出撃して皇帝軍の補給線寸断しようとした8月8日守備軍は物資の不足により交渉入った8月17日フランス軍投降し皇帝から軍旗降ろさずに去ることを許可された。41日間足止めされたことで、皇帝軍の攻勢止まった皇帝腹心撤退主張したが、皇帝面目にかかわるとしてシャロン=アン=シャンパーニュ強行軍した。しかし、マルヌ川渡河ジャロン英語版)で待ち受けていたフランス軍により阻止された、渡河はかなわなかったが、皇帝軍はシャンパーニュ荒らしまわり、エペルネーシャティヨンシュルマルヌ英語版)、シャトー=ティエリソワソン次々と落としたフランス皇帝軍を止める行動を全くしなかった。ガブリエル・ド・ロルジュ率い軍勢ラニー=シュル=マルヌ反乱鎮圧手を焼いており、皇帝軍を相手する暇がなかった。パリ恐慌陥ったが、フランソワ恐れるものは何もない強弁した。カール9月11日にようやく撤退したヘンリーブローニュ攻城を自ら指揮市街地9月はじめに落とし、城も9月11日攻め入った守備軍はその数日後ようやく投降した

※この「フランス本土進攻」の解説は、「第五次イタリア戦争」の解説の一部です。
「フランス本土進攻」を含む「第五次イタリア戦争」の記事については、「第五次イタリア戦争」の概要を参照ください。

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