フォアキャスト部門(2010年までフォーラムシアター)
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「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の記事における「フォアキャスト部門(2010年までフォーラムシアター)」の解説
黎明期 (1993 - 2001)現特定非営利活動法人ゆうばりファンタの代表理事澤田などの市民有志が夕張青年会議所主催で“ゆうばりファンタランド”を設立、1993年から映画祭に参加、年間を通じて「ファンタランド通信」の発行やシネマ・ワークショップのサポート、1998年から夕張で映画制作される作品の支援(ゆうばりシネマサポーターズ)を行った。 1999年より夕張に参加した監督たちの作品を自主上映する場を「フォーラムシアター」と呼称し、2002年、正式に市民企画の部門として扱われることになった。 定着期 (2002 - 2003)これまで様々な企画上映をしてきたが、若手監督の新作映画を扱うことが多くなり、前年にプレゼンテーション企画として発表された2作品、『0&1』(中田圭監督)と『多摩川少女戦争/g・a・n・g』(及川中監督)がプレミア上映された。以後、新作企画発表の場と新作上映の場が定着している。03年には、作品本数とゲストが数が増え、現在の商工会議所2Fに加えシネサロンの2会場に増えた。 暴走エスカレート期 (2004 - 2006)さらにそのエスカレート振りが04年には、頂点に達し、石井隆監督の『花と蛇』の上映や映画制作にまで着手し、西村喜廣監督とタッグを組み夕張オールロケの『スピーカーマン THE BOO』をメイン会場であるホテルシューパロで特別上映、青年婦人会館まで加え4会場で行われ、映画祭本体をかなり侵食。 上映希望作品の増加にともない出品条件がこの時期にほぼ固まる。ミニシアター系単館公開作品やVシネ、また商業監督を目指すクリエイターや若手俳優陣たちが自主的に上映企画する場として定着。上映作品は一般に未公開であり、監督やスタッフ・キャストが必ず舞台挨拶などを自分たちで行うことが条件となった。06年までは映画祭側から用意されるものはほぼ会場設備などのみ、監督たちは参加者はすべて自費であった。それでも100名を越える映画人たちが進んで参加を希望し、映画祭の場で交流を深め、次回作への足がかりを摑んでいった。 2005年は、みんなの家の閉鎖に伴い、会場を郷愁の丘ミュージアム内のミニシアターへ移転したが、ゲストの数が増えすぎたため、使用は1度限りになった。 2006年は、前年度の反省から会場を商工会議所だけに限定したが、ベテラン俳優・諏訪太朗に焦点をあてた特集上映をするなど、作品の質をあげた。特集上映のために諏訪太朗主演で制作された作品もあった。ゲストの数は衰えることは無かった。 応援映画祭 (2007)2007年は、映画祭の休止にも関わらず、応援映画祭の中でも自主上映企画としてお馴染みの映画人に加え、常連となった作家であり監督の戸梶圭太や乙一、桜井亜美などの人気作家の監督作品など多彩ぶりを発揮した。 復活期 (2008 - )2008年からは上映作品がスカパー!で映画祭と同時放映されるという映画祭初の試みが開始された。ゲストも高橋洋、沖島勲、阿藤快などさらに豪華に。上映される作品のレベルも高くなった。 2009年は商工会議所をメインに、市民会館3階の特設会場でも一部作品が上映された。田口清隆監督『長髪大怪獣ゲハラ』の怪獣アトラクションショーや、スクリーンの映像を背景に役者の生芝居をシンクロさせた演劇イベントなど企画内容もさらに進化した。映画監督の蔭山周や柴田剛が中心となって企画した音楽イベント「ゆうばりロックフェスティバル」は映画祭初の音楽フェスとなった。あがた森魚、あらかじめ決められた恋人たちなど出演者も豪華であった。 2011年には「フォアキャスト部門」と改称した。
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