フォアアールベルク鉄道
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「フェルトキルヒ - ブクス線」の記事における「フォアアールベルク鉄道」の解説
1858年6月にライネク - ザルガンス区間が開通されて、フォアアールベルク地方のライン川水域では鉄道連結が企画されていた。その背景からオーストリアとスイスは両路線を互いに結ぶための交渉を開始した。1865年8月5日にオーストリア=ハンガリー帝国、バイエルン、スイスの間に締結された条約が一旦実行されなかった。リヒテンシュタイン政府は自国領を鉄道で連結するために力を尽くした。1870年1月の折衷案ではリヒテンシュタインを鉄道で直接に連結する鉄道路線の認可が確言された。1870年8月27日にフェルトキルヒ - ブクス区間の鉄道敷設に関する条約が四つの当事国の間に締結されて、現在その条約は有効である。 1871年に「帝国特認フォアアールベルク鉄道(k.k. Previlegierte Vorarlberger Bahn)」が設立されて、1872年10月24日にこの路線を開通した。ライン川の鉄道橋は1870年から1872年まで鉄製ブラウントラス橋の構造で建設された。機関車と客車は1870年の条約10条、16条の根拠で全ての当事国で支障なしに使用され、また国の間に車両通行が可能なべきである。この路線で輸送される物品の場合、通過関税が少ない例外で免除されている。14条条項の内容は、犯罪者および不法取り引きあるいはオーストリア租税法の重大な違反で有罪宣告を受けた者はこの路線の利用を禁ずることである。
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