鉄道建設背景とフォアアールベルク鉄道
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「フォアアールベルク線」の記事における「鉄道建設背景とフォアアールベルク鉄道」の解説
企業家であったカール・ガナール(Carl Ganahl, 1807~1889)はフォアアールベルク地方の鉄道建設の重要性を認識したものの、地理的な障壁のため、チロル地域と連結される山岳鉄道がなければ鉄道建設は無意味であった。フォアアールベルク地方はオーストリア帝国の独立した帝冠領ではないし、ウィーンでは代表者もなかった。1850年代にリンダウ、聖マルグレッテン、インスブルックでは鉄道施設が既に備えられた。1856年ヴォーアールベルク地域の商工会議所議長となったガナールは建設予備段階の許可要請書を提出した。ガナールはそのあと自分の費用で2年間詳細な実行案を準備させた。彼の要請はオーストリア帝国商工部で一時的に延期されて、隣接国家との協議が優先的にならねばならなかったからであった。1865年初めに鉄道建設に関する条約が締結された。 条約締結の前であった1864年、帝国商工部(k.u.k. Handelsministerium)はインスブルック - ドルンビルン区間の鉄道建設計画を提出して、1867年に聖アントン - ランゲン区間のトンネル建設が提案された。帝国議会は1867年鉄道建設計画案を既に審査したが、1869年5月にやっと鉄道建設を議決した。1865年の条約は施行されなかったので、1870年8月27日鉄道建設に関する新しい条約が締結された。同年10月にヴォアアールベルク州で鉄道建設工事が開始された。ほとんどの工事は1871年に行われて、この路線の一部分が建設されたものの、様々な異見のため時間損失は甘受されねばならなかった。 私鉄鉄道の帝国特認フォアアールベルク鉄道(k.k. previlegierte Vorarlberger Bahn)は1871年7月に株式会社として法人登記簿(Handelsregister)に登録された。フォアアールベルク鉄道は1872年7月1日にブルーデンツ - ロッホアウ区間が蒸気機関車「ブレーゲンツ号」の投入と共に開通された。バイエルン王国の区間は同年10月14日に開通された。リンダウ - ロッホアウ国境区間は国家所有でヴォアアールベルク鉄道に賃貸された。ボーデン湖土手道上の線路は1866年既に複線となった。1885年の国有化の前、1884年にアールベルクトンネルの完工でこの路線はオーストリアの鉄道網と連結された。1899年に複線線路がリンダウ - ロイティン区間で備えられた。 多量の漂礫土が峡谷からイル川に数回流入して堆積たり押し流された後、1918年12月には流れた泥が単線だったこの路線の線路とイル川まで推し進めた。
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