鉄道建設の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 03:55 UTC 版)
「マデイラ・マモレ鉄道」の記事における「鉄道建設の背景」の解説
19世紀末に、自転車や自動車の普及によりタイヤなどの原料として天然ゴムの需要が増大した。ベニ川、マドレ・デ・ディオス川、アクレ川などアマゾン流域上流の低地帯には、パラゴムノキが自生していた。このためアマゾン地域には、「ゴム景気」が起こり、多くの商人がベレン、マナウス、ポルト・ヴェーリョにラテックスを買い付けるために進出した。また多くの労働者がラテックス採集労働者としてアマゾン地域に分け入った。ボリビアでは、サンタ・クルス地方からゴムの自生地域に、1860年から1910年の半世紀の間に約8万人が移住したとされる。このため、マデイラ川のポルト・ヴェーリョより上流域の開拓と輸送手段への期待が高まった。 さらにボリビアの事情として、大西洋側に新たな輸送路を必要としていた。ボリビアは、ペルーと連合して、太平洋側の地域の硝石やグアノの天然資源を巡って、チリと戦った太平洋戦争に敗れ、太平洋側の港を失った。ボリビア政府は、大西洋側に出口を求め、そのルートとしてアマゾン川に注目した。 これらの輸送需要を満たすため、未開の地であったマデイラ川の上流に鉄道を建設する構想は、1860年代からブラジルとボリビアの双方に存在した。 アマゾン川の大西洋河口からポルト・ヴェーリョまでの約1,124キロは、船舶の航行が可能であった。しかし、ポルト・ヴェーリョより上流には、大きな滝があり、また急流や浅瀬が存在するため小型の船舶でも航行が困難であった。このためポルト・ヴェーリョとその上流の地域との間で円滑な物資の輸送を行なうため、道路、鉄道、急流を迂回する運河などの輸送手段の建設の構想があった。
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