2002-2003
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:18 UTC 版)
「ヤマハ・YZR-M1」の記事における「2002-2003」の解説
2002年シーズンは990cc4ストロークマシンと500cc2ストロークマシンの混走が許された初めての年であった。ヤマハは2ストロークV型4気筒エンジンのYZR500から、4ストローク並列4気筒のYZR-M1への切り替えを決定した。その理由はフレームとエンジンのバランスを考慮したためであった。ヤマハはまた、YZR500の良好な操縦性の維持を求め、M1のエンジンをYZR500の車体構造にはめ込むように設計した。M1は4ストロークエンジン特有のエンジンブレーキを制御する電子エンジン管理システムを装備した。新型エンジンは5バルブを装備し、キャブレターによるガソリン供給、排気量は942ccであった。シーズン後半までにはレギュレーション上限の990ccまで発展した。フレームもシーズン中に開発が進み、エンジンマウントポジションと燃料タンク形状が変化した。 M1は2001年を通して、マックス・ビアッジ、ジョン・コシンスキー、藤原儀彦、難波恭司の手によって開発が進められた。2002年シーズンはビアッジとカルロス・チェカがファクトリー・チームでM1を走らせ、シーズン終盤には阿部典史、オリビエ・ジャック、中野真矢にも提供された。ビアッジは2勝を記録しランキング2位となり、ヤマハもマニファクチャラーズランキングで2位となった。 2003年シーズン、エンジンはキャブレターからフューエルインジェクションに変更となり、エンジンブレーキ制御も安定性を改善するために4つのシリンダーのうち2つに通ずるスロットルバルブを自動的に調節したアイドリング制御システムと交換された。M1のライダーはチェカ、アレックス・バロス、オリビエ・ジャック、マルコ・メランドリ、中野真矢、阿部典史で、このシーズンは1勝もできずヤマハはマニファクチャラーズランキングで3位となった。
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