2002-2003年 継続的な成功
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「サラ・コナー」の記事における「2002-2003年 継続的な成功」の解説
翌年には2枚目のスタジオアルバム『Unbelievable』の制作を開始し、9月にリリースした。ヒットはセカンドアルバムでも続き、Wyclef Jeanの作詞した最初のCDシングル、「One Nite Stand (of Wolves and Sheep)」もまた、トップ5に入った。アルバムが非常に好評だった為、 ダイアン・ウォレン作詞作曲の3つのシングル 「Skin on Skin」、「He's Unbelievable」、「Bounce」も発売した。 最初のライヴDVD、「A Night to Remember: Pop Meets Classic」は2003年1月に撮影され、2003年10月にリリースされた。クラシックオーケストラの演奏でサラの歌をバックアップしている。サラはこの頃、最初の子供を妊娠しており、肉体的にも厳しかったのだが、2003年11月に彼女の3番目のアルバム『Key To My Soul』をリリースすると決めた。シングル「Music Is the Key」ではニューヨークのアカペラ歌手を特集、Naturally 7とのコラボレーションを収録し、ドイツで2作目となる首位を獲得した。シングル「Just One Last Dance」は息子タイラーの出生によりアルバムのものを再録音した版で、(後に夫となる)マーク・テレンツィによるボーイズバンドNaturalによって新しいボーカルの歌声も含まれている同曲は、ドイツで3度目の首位を獲得した。 2003年秋、シングル「Bounce」の情報をつかんだ一部のアメリカのラジオDJにより、 すぐに「Bounce」は多くのラジオエアプレイを得た。ソニーレコードはアメリカ合衆国で彼女の歌のCDをリリースすると決めた。しかし彼女は不調で「Bounce」はシングルランキングでは最高40位でピークに達した。そのときサラは妊娠およそ6ヶ月で限界状態だった。彼女の息子、タイラーが生まれる2,3週間前、前のアルバム3作品のシングルスの編集アルバム「サラ・コナー」が2004年の冬にリリースされた。アメリカのアルバムチャート106位の登場だったが、プロモーション不足もあり、ランキングは104までしか上昇しなかった。
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