ビジネス拡大(1937年以降)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 17:49 UTC 版)
「ルイ・ヴィトン」の記事における「ビジネス拡大(1937年以降)」の解説
1970年代 1978年3月、東京に3店(日本橋髙島屋店、サンローゼ赤坂店、西武渋谷店)大阪に2店(西武ピサ大阪ロイヤル店、アンロワイヤル阪急17番街店)の5店舗がオープン。 9月には高島屋大阪店(難波)にオープン。 1980~90年代 1981年 - 日本初の直営店舗を東京・銀座並木通りにオープン。1989年には香港初の店舗をオープン。 1983年 - アメリカスカップの挑戦艇選抜シリーズとして、ルイ・ヴィトンカップがスタート。 1985年 - エピ・ライン(麦穂柄)を発表。 1987年 - シャンパンメーカーのモエ・ヘネシーと合併、LVMHが誕生。LVMHグループはその後、クリスチャン・ディオールやフェンディなど有名ブランドを傘下におさめる巨大ブランド企業に成長する。 1992年 - 中国初の店舗を北京にオープン。 1998年 - デザイナーにマーク・ジェイコブスを迎え、アパレル商品、靴の展開をスタート。また、モノグラム・ヴェルニラインもあわせて発表。 1999年 - ミレニアムに向けての限定品を3種発表。サイバーエピライン(エナメルのようなエピ地にブラックライトを当てるとモノグラム柄が浮き出てくる)のアジェンダPM(6穴バインダー手帳)・グッド・ラック・ブレス、ミニトランク。 2000年代以降 2001年 - 時計の展開をスタート。最新商品はジュネーブ、バーゼルなどの見本市で発表される。 2003年 - 日本人デザイナー村上隆とのコラボレーションにより、黒地あるいは白地にモノグラムをカラフルに配した「モノグラム・マルチカラー」を発表。このときに発表された商品の中には、モノグラム模様の中にスマイリーマークが描かれた桜の花を配した商品「モノグラム・チェリーブラッサム」や、大きな革製のリボンがついた商品なども発表された。同時に、村上隆のキャラクターであるパンダをモノグラムの上に描いたシリーズ「モノグラム・パンダ」も発売された。翌2004年にも村上とのコラボレーションによる「モノグラム・チェリー」ラインが発表された。これは、前年のサクラシリーズよりは少し落ち着いているものの、モノグラム地の上に、サクランボのイラストを載せるというデザインであった。 2005年秋冬コレクションとしてキャンバス地のカジュアルなシリーズ「アンティグア」が発表された。ナチュラルな生成と真っ赤なキャンバス地が素材である。 野球用バッグ「サック・ベースボール」が少量発売され、同商品が翌春、ルイ・ヴィトン・ジャパンより北海道日本ハムファイターズに当時所属のSHINJO(新庄剛志)選手へ提供された。 2006年春夏コレクションとして、モノグラム地にパンチングを施し、穴を開けた素材の「モノグラム・ペルフォ」、デニム素材の「モノグラム・デニム」が発売された。 電通との広告契約を終了し、新たにADKマインドシェアと契約。これ以降グループと同社との関係が継続している。 2007年秋冬コレクションとして、カラフルなモノグラムマルチカラーをファーの上にプリントした「モノグラム・ミンク」とメタリックな素材の「モノグラム・ミラー」を発売。 2月にはバレンタインラインとして、ハート型の小銭入れ「ポルトモネ・クール Porte-monnaie Coeur」、春コレクションは、モノグラムにフレンチレースを刺繍した「モノグラム・レース」、「デニム・パッチワーク」、「ポルカドット」など少数生産、多数コレクションへになりつつある。一方、7月にはアメリカスカップへのスポンサー契約打ち切りを発表した。 2014年 - 春夏コレクションを最後にマーク・ジェイコブスがクリエイティブディレクターを退任。次の秋冬コレクションから後任のニコラ・ジェスキエールが指揮を執る。 2018年 - メンズコレクションのアーティスティック・ディレクターを務めていたキム・ジョーンズが2018年秋冬メンズコレクションをもって退任し、初の黒人デザイナーとなるヴァージル・アブローがクリエイティブディレクターに就任した。 2021年 - メンズのクリエイティブディレクターであったヴァージル・アブローが、癌の為に亡くなったことが発表された。その際、数年間に渡り闘病生活をしていたことも明らかにされた。
※この「ビジネス拡大(1937年以降)」の解説は、「ルイ・ヴィトン」の解説の一部です。
「ビジネス拡大(1937年以降)」を含む「ルイ・ヴィトン」の記事については、「ルイ・ヴィトン」の概要を参照ください。
- ビジネス拡大のページへのリンク