パニックの起こりにくい環境
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 06:50 UTC 版)
「パニック」の記事における「パニックの起こりにくい環境」の解説
第一には、生き残りの可能性がない場合にはパニックは起こりにくい。一般に、パニックは危機的状況にある閉鎖的な空間で発生しやすいと思われている。だが、完全に逃げ場がない閉鎖的な空間においては、実際にはむしろ、パニック状態には陥りにくいことが知られている。例を挙げれば、過去の大規模な航空機事故発生時には、逃げ場のない機内で乗客は強いストレスに晒されながらも、一定の理性を保っていたという報告がなされている(→日本航空123便墜落事故など)。パニックに陥り、搭乗口をこじ開けて機外に飛び出したなどの事例は極めて少ない。航空機事故の他にも潜水艦や宇宙船、鉱山での坑内事故などでは、パニックが起こらないことが知られている。 このことは、危機を逃れる可能性がたとえ僅かでもある場合にこそ、人は何としてもそれを達成しようしてパニック状態になることを示唆している。他人と争うことで生存できるという見返りがあるのなら、人は利己的にもなるが、見返りがないのなら争う動機が生まれない。航空機事故の場合、既に搭乗者は死を覚悟しているためにパニックは起こりにくい(助かるのは偶然の結果に過ぎない)。 次に、充分に訓練された集団ではパニックが発生しにくい。これは、充分に訓練を受けた個人であっても同様だが、特に集団では、危機的状況でも速やかに各人の役割分担がなされ、全員が全員で同じ行動に走り、結果パニックに陷る事態が防止される。また、各々が割り当てられた役割を果たすことで、危機的状況が引き起こすストレスを軽減できる。強度のストレスに晒された人間の脳は、より衝動的な考えが支配的になるが、このストレスを軽減できれば、結果として理性的な行動を行いやすいという理屈である。 第三に、集団中に一定の権力や威厳といったヒエラルキーが存在する場合も、パニック状態が抑制されやすい。上位の存在が真っ先にパニックを起こす集団では、むしろ集団全体のパニックが増幅され、悲劇的な結果に陥りやすい。よって、上位存在が良かれ悪かれ一定のリーダーシップを発揮している限り一定の安全性が保持され、パニックによる集団の被害は軽減すると言えよう。特にリーダーが適切な判断を下す能力があれば、その集団が危険を脱する可能性は格段に向上する。 興味深い事例としては、1980年8月14日に富士山吉田口の9合目付近で発生した落石事故が存在する。夏山シーズンで行楽登山者が多かったため、下山中の登山者らは背後から落ちてきた岩に当たりパニックから斜面を滑落したりして、死者12名負傷者29名に上る惨事となった。このなかで、ある子供連れの家族は父親を先頭として落石方向に正対して一列になり、この落石の矢面に立った父親の号令一下、転がり落ちてくる岩塊を右へ左へとかわし続け、全員が無傷で下山したというものである。 この他、視認性の高い安全経路情報の提示や、他者からの誘導がある場合も、パニックが起こりにくい。 なお、災害に対する不安や危機感がなかったり、避難するよりもその場に留まった方が安全であるという認識が広まると、人は避難行動を開始しない。その場合、危機が本当に差し迫ったものであると、結果として人々が逃げ遅れてしまうこともあり得る。例えば1981年10月31日に神奈川県平塚市では、手違いにより、東海地震に備えてあらかじめ用意されていた「地震予知により間もなく大地震の発生が予想されるので警戒せよ」という旨のメッセージが、誤って防災無線から放送されてしまうという誤報があったが、その放送内容は群衆のパニックを抑えることばかりを意識した回りくどいものであったため、予想されていたパニックは全く起こらなかった。しかしこの誤報は80パーセントの市民には届かず、何らかの形で耳にした人でも真に受けた人はわずかに3.9パーセント、半信半疑だった人も10.0パーセントに留まり、大多数の市民は聞いても無視するか信じず、更に誤報の内容を真に受けたわずかな人も、そのうち60パーセント以上は何ら具体的な行動を起こさなかった。安全な場所に避難したのは1パーセントにも達しなかったという。この放送では確かにパニックこそ起きなかったが、避難を呼びかける放送としては毒にも薬にもならないものであった。
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