バトル・オブ・ブリテン - 制空戦闘機としての失敗とは? わかりやすく解説

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バトル・オブ・ブリテン - 制空戦闘機としての失敗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 07:56 UTC 版)

メッサーシュミット Bf110」の記事における「バトル・オブ・ブリテン - 制空戦闘機としての失敗」の解説

1940年7月10日ドイツは英本土上陸作戦先立つ本土上空制空権獲得作戦バトル・オブ・ブリテン開始する。この時点西部戦線配備されていたBf 110315機、実働242機。苦戦しながらもバトル・オブ・ブリテン第一幕ドーバー海峡制空権確保はなった。だが8月13日からのイギリス本土制空権を得る本格的な侵攻作戦、「アドラー・ターク」で、Bf110大損害を強いられる。 すなわち、Bf110所詮双発機である。単発戦闘機軽快性には敵わない出撃のたびに英戦闘機(スピットファイアなど)の迎撃により多大な損害を受け、爆撃機護衛するはずだったBf110がさらにBf109護衛を必要とする様な状況追い込まれる具体的には「アドラーターク」発動初日8月13日には13機を、15日にはわずか一日で、1個飛行団全滅にも等しい数である30機ものBf110失われた。なお、この日は第5航空艦隊によってノルウェー方面から21機のBf110D(航続距離伸ばすため後部銃座撤去していたとも言う)とHe111が奇襲的に出撃しているが、7機が撃墜され、これは二度と実行されることがなかった。さらに16日には8機。17日には25機を喪失最早Bf110対戦闘機戦闘にはまともに使用できないことが、明らかとなった8月18日以降Ju87と共にBf110出撃機会激減するものの損害相次いだ。なお一部部隊、すなわち210実験隊では500kgの爆装可能なC-4/B型を用い戦闘機としてではなく高速戦闘爆撃機として運用されレーダー察知されない低空侵入で、港湾攻撃レーダーサイト攻撃行った。ただし損害大きかった結局バトル・オブ・ブリテン終了までに、ドイツ空軍実働237機のBf110投入し223機を失った。 ただしこれについては異論もある。『週刊エアクラフト』No.183によれば、高度6700m以上で事実上Bf110は「不死身と言ってもいい状態であり、その性能は完全にハリケーン上回り上昇力についてはスピットファイアMk.Iさえも上回っていた。また急降下からのズーム上昇繰り返す一撃離脱攻撃効果的であった確かにこの戦役Bf110多く損害被ったが、その損害はほとんど例外なく、低高度・中高度での爆撃機護衛任務中のことであり本来得意とする戦法が採りづらく、もともと格闘戦には向かない双発重戦闘機低速・低高度飛行中軽戦闘機襲われたらこれはひとたまりもないと言うわけである。なお、同じ不利は、(同じく一撃離脱向き機体であった) Bf109被っていたという。 なおBf110教導部隊開発した防御円陣」(またはデス・サークル)と言う戦法持っていた。先の西方電撃戦までは活躍した戦法であり、全ての駆逐機パイロットハンドブックにも記されていた戦術である。これは複数Bf110連なって円を描く様に飛行する陣形であり、各機のパイロットおよび前方機銃と、その前の機の後方機銃連携密に取れるものであった。この戦法には一定の効果があり、また囮ともなりえるため、爆撃機護衛と言った観点からは成功した意味もあるようだ。ジョン・ウィールによれば英軍パイロットたちは、Bf110あっと言う間に輪を作る述べていたとある。なおゲーリング国家元帥はこの戦術を「攻撃円陣」と呼ぶように指導したが、パイロットたち反応は冷たい物だったという。飯山 (2003) によれば防御円陣作ったBf110は隙を見て戦場離脱することが多かったといい、また前後Bf110同士討ちすることもあったという。 なお、フランス侵攻の数週間前、ちょっとした諍いから、Bf110Bf109模擬空戦が行われた事があった。一対一対決であったが、結果言うまでもなくBf109完勝であった。またユーゴスラビア侵攻でのベオグラードおよびサラエボ南方における戦闘では、ユーゴスラビア空軍Bf109E戦闘になり、4機を撃墜した報告したものの、少なくとも5機を失っている。 渡辺 (2002) によれば、この駆逐としての失敗響いたせいか、1941年入ってからBf110生産落ち込み2 - 3月に月産100機台だったものが、9月からしばらくは月産10機台となった1942年3月以降には回復傾向示し月産30 - 60機にまで回復した。 ただし後述する様に、敵戦闘機重大な脅威のない地域では、Bf110善く働いた

※この「バトル・オブ・ブリテン - 制空戦闘機としての失敗」の解説は、「メッサーシュミット Bf110」の解説の一部です。
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