バトル・オブ・ブリテン - 制空戦闘機としての失敗
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「メッサーシュミット Bf110」の記事における「バトル・オブ・ブリテン - 制空戦闘機としての失敗」の解説
1940年7月10日、ドイツは英本土上陸作戦に先立つ英本土上空の制空権獲得作戦、バトル・オブ・ブリテンを開始する。この時点で西部戦線に配備されていたBf 110は315機、実働は242機。苦戦しながらもバトル・オブ・ブリテンの第一幕、ドーバー海峡の制空権確保はなった。だが8月13日からのイギリス本土の制空権を得る本格的な侵攻作戦、「アドラー・ターク」で、Bf110は大損害を強いられる。 すなわち、Bf110は所詮は双発機である。単発戦闘機の軽快性には敵わない。出撃のたびに英戦闘機(スピットファイアなど)の迎撃により多大な損害を受け、爆撃機を護衛するはずだったBf110がさらにBf109の護衛を必要とする様な状況に追い込まれる。具体的には「アドラーターク」発動初日の8月13日には13機を、15日にはわずか一日で、1個飛行団の全滅にも等しい数である30機ものBf110が失われた。なお、この日は第5航空艦隊によってノルウェー方面から21機のBf110D(航続距離を伸ばすため後部銃座を撤去していたとも言う)とHe111が奇襲的に出撃しているが、7機が撃墜され、これは二度と実行されることがなかった。さらに16日には8機。17日には25機を喪失。 最早Bf110は対戦闘機戦闘にはまともに使用できないことが、明らかとなった。8月18日以降、Ju87と共にBf110の出撃機会は激減するものの損害は相次いだ。なお一部部隊、すなわち210実験隊では500kgの爆装が可能なC-4/B型を用い、戦闘機としてではなく、高速戦闘爆撃機として運用され、レーダーに察知されない低空侵入で、港湾攻撃やレーダーサイトの攻撃を行った。ただし損害も大きかった。 結局バトル・オブ・ブリテンの終了までに、ドイツ空軍は実働237機のBf110を投入し、223機を失った。 ただしこれについては異論もある。『週刊エアクラフト』No.183によれば、高度6700m以上では事実上Bf110は「不死身」と言ってもいい状態であり、その性能は完全にハリケーンを上回り、上昇力についてはスピットファイアMk.Iさえも上回っていた。また急降下からのズーム上昇を繰り返す一撃離脱攻撃は効果的であった。確かにこの戦役でBf110は多くの損害を被ったが、その損害はほとんど例外なく、低高度・中高度での爆撃機護衛任務中のことであり本来得意とする戦法が採りづらく、もともと格闘戦には向かない双発重戦闘機が低速・低高度飛行中を軽戦闘機に襲われたらこれはひとたまりもないと言うわけである。なお、同じ不利は、(同じく一撃離脱向きの機体であった) Bf109も被っていたという。 なおBf110は教導部隊の開発した「防御円陣」(またはデス・サークル)と言う戦法を持っていた。先の西方電撃戦までは活躍した戦法であり、全ての駆逐機パイロットハンドブックにも記されていた戦術である。これは複数のBf110が連なって円を描く様に飛行する陣形であり、各機のパイロットおよび前方機銃と、その前の機の後方機銃の連携が密に取れるものであった。この戦法には一定の効果があり、また囮ともなりえるため、爆撃機の護衛と言った観点からは成功した意味もあるようだ。ジョン・ウィールによれば、英軍パイロットたちは、Bf110はあっと言う間に輪を作ると述べていたとある。なおゲーリング国家元帥はこの戦術を「攻撃円陣」と呼ぶように指導したが、パイロットたちの反応は冷たい物だったという。飯山 (2003) によれば、防御円陣を作ったBf110は隙を見て戦場を離脱することが多かったといい、また前後のBf110が同士討ちすることもあったという。 なお、フランス侵攻の数週間前、ちょっとした諍いから、Bf110とBf109で模擬空戦が行われた事があった。一対一の対決であったが、結果は言うまでもなく、Bf109の完勝であった。またユーゴスラビア侵攻でのベオグラードおよびサラエボ南方における戦闘では、ユーゴスラビア空軍のBf109Eと戦闘になり、4機を撃墜したと報告したものの、少なくとも5機を失っている。 渡辺 (2002) によれば、この駆逐機としての失敗が響いたせいか、1941年に入ってからBf110の生産は落ち込み、2 - 3月に月産100機台だったものが、9月からしばらくは月産10機台となった。1942年3月以降には回復傾向を示し、月産30 - 60機にまで回復した。 ただし後述する様に、敵戦闘機の重大な脅威のない地域では、Bf110は善く働いた。
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