ハイネの詩による歌曲(6 Lieder nach Gedichten von Heinrich Heine)
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「白鳥の歌 (シューベルト)」の記事における「ハイネの詩による歌曲(6 Lieder nach Gedichten von Heinrich Heine)」の解説
上述のように、すべてハイネの『歌の本』の中にある「帰郷」からとられた詩。これまでのシューベルトの作品にみられなかった大胆な転調、言葉の分解、朗誦性など斬新な作曲技法が目立つ。シューベルト晩年の境地。 第8曲「アトラス」(Der Atlas) 歌曲集『白鳥の歌』より第8曲「アトラス」 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 ト短調、4分の3拍子 畑中良輔は、全音楽譜出版社版の「白鳥の歌」の楽譜の解説で、ドイツ・リートがこの曲に至って遠心的な世界を得た、と評している。20世紀の歌曲伴奏者ジェラルド・ムーアは、その著書『歌手と伴奏者』の中で、声質の軽い人は、どんなにこの曲が好きでも(また、歌った後どんなに気分がよくても)、断じて手を出すべきではない、なぜなら、第一声から聴く人に「私は全世界の不幸を背負ったアトラスだ」、と納得させる深さと強さが必要だからである、と述べている。 音楽は右手のトレモロと、左手の一貫して奏される付点音符の力強い伴奏で開始され、そこに全世界の苦悩を負ったアトラスが、朗々と、しかし悲劇的に歌いだす。中間部につながる部分では、かなり斬新なドッペルドミナントの読み換えによる転調が聞かれる。中間部では、「おごった心よ、おまえが限りなく幸福になるか、もしくは限りなく不幸になるかを望んだため、俺は今不幸なのだ」と歌い、冒頭の音楽が戻ってきて、力強く全曲を閉じる。 第9曲「君の肖像/彼女の肖像」(Ihr Bild) 変ロ短調、4分の4拍子 伴奏は全曲にわたってピアニッシモで進められる。恋人を失った男が恋人の肖像を見つめ、一度は過去を思い返すも恋人がいなくなった現実に振り返る様子を描く。 第10曲「漁師の娘」(Das Fischermädchen) 変イ長調、8分の6拍子 海辺で戯れる若い男女を表現。「シューベルトはハイネの皮肉を的確に表現していない」という批判もあるが、むしろシューベルトはハイネの原詩を旋律によって的確に表現しており、フィッシャー=ディースカウは「この詩のもつ優美な重苦しさは、シチリアーノでこれ以上軽やかには表現できないであろう」と評する。 第11曲「街」(Die Stadt) 街にある水辺の情景を表現しているが、全体としては憂鬱なイメージが支配しており、シューベルトは「暗い自然を描写」する旋律をもって孤独を引き立たせている。 第12曲「海辺にて」(Am Meer) 自由な、しかし模範的な形式をもって構成され、抒情とレチタティーヴォが巧みに融合された歌曲。 第13曲「影法師」(Der Doppelgänger) ロ短調、4分の3拍子 恋に破れた者が、己の慟哭を映し出す影(ドッペルゲンガー)を、失恋したその場所で見出す、というきわめて自嘲的かつ現代的なハイネの詩に、シューベルトはわずか21小節からなる音楽を付けた。音符は極限まで切り詰められ、歌唱声部は付点のリズムによって極度の緊張感を生み出す。 ハイネの原詩については「ドッペルゲンガー#文学」を参照 ハイネによる歌曲の最後を飾るこの「影法師」は、ムーアが前掲書で述べているように、まさにこのハイネ歌曲の、そしてシューベルト晩年の歌曲様式の頂点をなす作品である。言葉の分解と朗誦的な歌唱テンポ、単純な和音だけによる伴奏は、ドイツ芸術歌曲における言葉と音楽との関連性を極限まで追求した究極の形に他ならない。構成はあまりにも複雑であり、フィッシャー=ディースカウは「シューベルトの天才性によってはじめてこの曲の叙唱の音楽外的な技術を完全に使いこなすことができた」と評している。 なお、日本では「影法師」の題名が使われてきたが、近年は原語通り「ドッペルゲンガー」とする例も増えている。
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