自画像
セルフ・ポートレート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 08:29 UTC 版)
彼は、世に良く知られた西洋の名画(エドゥアール・マネ、ルーカス・クラナッハ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、レンブラント・ファン・レイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、フリーダ・カーロといった画家の作品)になりきるにあたって、絵の構成や背景の物などに至るまで詳細なリサーチを重ねる。ライティングやフェイスペインティング、合成やCGなども利用して人物配置、色調、光の位置などまで再現する。 ただし、リサーチの過程で画家の文化的背景や絵に描かれた人物などを自分なりに解釈した結果、完全な再現でなく大胆な変更を加えることも多い。また西洋絵画の中の人物に扮するにしても、森村自身が黄色人種で日本人で男性だという事実は変えることができない。たとえばエドゥアール・マネ作『オランピア』を再現するに当たり、彼は白人の娼婦と黒人の召使の二人の女性両方に変身したが、これは絵画の中の人種同士の主従関係を際立たせた。また、絵の中央に横たわり男性の欲望の視線にさらされるはずの女性に扮することで、観客の視線を混乱させた。また、小道具の絹の敷物の代わりに日本の着物、猫の代わりに招き猫を置くなどしている。これはわざと日本ローカルのものに置き換えることによる笑いを誘う側面もあるが、一方でローカルの物を普遍性のある名画の中の物と等価にしてしまうことにもつながる。また、着物と招き猫という組み合わせから、日本のステレオタイプである芸者への連想も可能である。 彼はこのように、一枚の写真のなかに人種・民族、ジェンダーなどの問題、作家や美術に対する愛情、美術史の過去から現在に至る研究の積み重ね、画集などのコピーを通じてよく知っている作品のイメージに対する揺さぶりなどを提起している。また、世界的に知られたオリジナルの作品のイメージや、作品内の小道具を代用する大量生産のまがいものやローカルな産品を、彼自身の肉体が入り込む一枚の写真に統合することで互いの距離をゼロにしてしまっている。オリジナルとそのコピーが混在して消費されている現在を表現している作家といえる。 その他、西洋絵画のみならず日本画やマン・レイらの写真、報道写真、マドンナやマイケル・ジャクソンといったポップ・アイコンへの変装、古今東西の名女優への変装、映像作品の制作や映画出演、新聞コラムや書籍の執筆など活動の幅も広い。
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